泉涌寺開山堂・泉涌寺見どころ(修学旅行)

泉涌寺開山堂

●泉涌寺開山堂は1966年(昭和41年)6月11日に国の重要文化財に指定されました。
●泉涌寺開山堂は江戸時代前期の寛文年間(1661年~1672年)頃に建立されました。開山堂は塔身が卵形で、月輪大師(がちりんだいし)・俊じょう(しゅんじょう)の墓所である石造無縫塔(むほうとう)・開山塔(重要文化財)を安置しています。石造無縫塔は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に造立されました。
俊じょうは平安時代後期の1166年(仁安元年)9月6日に肥後(熊本県)に生まれました。14歳の時に飯田山常楽寺(いいださんじょうらくじ)の真俊(しんしゅん)の弟子になって天台(てんだい)・真言(しんごん)を学び、1183年(寿永3年)18歳の時に出家・剃髪し、翌1184年(元暦元年)に大宰府(だざいふ)観世音寺(かんぜおんじ)で具足戒(ぐそくかい)を授かりました。その後奈良と京都を往復して大乗・小乗の戒律を究めました。鎌倉時代初期の1199年(正治元年)に宋(中国)に渡り、径山(きんざん)の蒙庵元総(もうあんげんそう)に禅(ぜん)、四明山(しめいざん)の如庵了宏(にょあんりょうこう)に律(りつ)、超果教院の北峰宗印(ほくほうそういん)に中国天台(てんだい)を学び、1211年(建暦元年)に帰国して北京律(ほっきょうりつ)を創始しました。宋(中国)から律・天台・華厳(けごん)・儒道などの典籍や書画などを持ち帰りました。1218年(建保6年)に宇都宮氏の祖・宇都宮信房(うつのみやのぶふさ)から泉涌寺の前身である仙遊寺(せんゆうじ)を寄進され、後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇)など天皇・公家・武家などから寄進を受け、1226年(嘉禄2年)に主要伽藍を整備し、御願寺になりました。なお俊じょうは1227年(嘉禄3年)4月25日に亡くなり、第122代・明治天皇から諡号(しごう)・月輪大師を賜りました。
一般的に開山堂は寺院の開山の像を安置する建物です。開山は寺院に最初に住した僧侶のことを指します。開山堂は祖師堂(そしどう)・御影堂(みえいどう・ごえいどう)・影堂(えいどう)などとも言われています。
●泉涌寺開山堂は正面一間・背面二間・側面二間で、宝形造(ほうぎょうづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
宝形造は隅棟(すみむね)が屋根の中央に集まり、屋根の頂部に水平の棟を作らない屋根形式です。ちなみに宝形造は寄棟造(よせむねづくり)のように雨が四方に流れ落ちます。宝形造の名称は露盤(ろばん)・伏鉢(ふくばち)・宝珠(ほうじゅ))の総称を宝形と言うことに由来しています。なお宝形造は方形造とも言われています。屋根が六角形の場合に六注、八角形の場合に八注と言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
泉涌寺見どころ

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