下鴨神社舞殿・下鴨神社見どころ(修学旅行)

下鴨神社舞殿

●下鴨神社舞殿は1901年(明治34年)8月2日に国の重要文化財に指定されました。
●下鴨神社舞殿は江戸時代前期の1628年(寛永5年)頃に造営されました。その後式年造営(21年に1度)ごとに解体・修理が行われました。舞殿では葵祭(あおいまつり・賀茂祭(かもまつり))の際に天皇の勅使が紅紙(べにがみ)に書かれた御祭文(ごさいもん)を奏上し、雅楽の一種である東游(あづまあそび)が奉納されました。なお下鴨神社舞殿はかつて御所が被災した際、臨時の内侍所(ないしどころ・賢所(かしこどころ))に定められました。
一般的に舞殿は舞楽(ぶがく)を行う舞台である社殿です。舞殿は神楽殿(かぐらでん)・神楽堂(かぐらどう)とも言われています。舞楽は雅楽(ががく)の一種です。舞楽は唐楽(とうがく)・高麗楽(こまがく)を伴奏とする舞踊です。唐楽を伴奏とする舞楽は左舞(さまい)・高麗楽を伴奏とする舞楽は右舞(うまい)と言われます。なお雅楽は日本古来の音楽・舞に中国など大陸から伝わった音楽・舞が融合し、10世紀頃に完成したと言われています。雅楽は神楽(かぐら)・久米舞(くめまい)など日本固有の国風の歌舞(くにぶりのうたまい)・中国系の唐楽・朝鮮系の高麗楽などに分類されます。
内侍所・賢所は宮中で、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)とともに三種の神器(さんしゅのじんぎ)に数えられる八咫鏡(やたのかがみ)を祀る場所でした。かつて女性である内侍が管理したことから内侍所と言われていました。なお八咫鏡は天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋(あまのいわと)に隠れた際、石凝姥命(いしこりどめのみこと)が天照大神の出御を願って作ったと言われています。その後第10代・崇神天皇の時代(紀元前97年~紀元前30年)に宮中から移されることになり、倭姫命(やまとひめのみこと)が伊勢神宮に移して内宮の御神体になり、模造の神鏡(方代)が宮中に祀られました。
●下鴨神社舞殿は桁行四間、梁間三間で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
下鴨神社見どころ

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