下鴨神社御蔭神社・下鴨神社見どころ(修学旅行・観光)

下鴨神社御蔭神社

●下鴨神社御蔭神社は社伝によると第2代・綏靖天皇の時代(紀元前581年~紀元前549年)、紀元前581年(綏靖天皇元年)に創建されたとも言われています。この地は古くから賀茂の神が出現したとも言われ、御生山(みあれやま)と言われています。古代から山背国北部豪族が祭祀を行っていたとも言われています。また飛鳥時代後期の677年(天武天皇6年)に山背国国司が造営した賀茂神宮があったとも言われています。平安時代の右大臣・藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記「小右記(おうき)」の1018年(寛仁2年)11月25日の条り(くだり)に「鴨皇大御神、天降り給ふ。小野里、大原、御蔭山なり。」と記され、この地に鴨皇大御神(賀茂の神)が降臨し、平安時代中期には既に祀られ、この神地が古くから「御蔭山」と言われていました。鎌倉時代の公卿・勘解由小路兼仲(かでのこうじかねなか・広橋兼仲(ひろはしかねなか))の日記「勘仲記(かんちゅうき)」の1286年(弘安7年)4月12日の条りに「午の日の神事、御荒(みあれ)という。社司や氏人が斎(いみ)たすきかえて神歌を唱へながら供奉す。」と記され、古くから御生神事が行われていました。ちなみに現在、葵祭の前儀・御蔭祭が行われています。なお御蔭神社はいずれも下鴨神社の東本殿・西本殿に祀られている玉依姫命(たまよりひめのみこと)・賀茂健角身命(かものたけつぬみのみこと)の荒御魂(あらみたま)を祀っています。
御蔭祭は葵祭に先立って、下鴨神社の祭神の荒御魂(あらみたま)を比叡山西麓にある御蔭神社から下鴨神社に迎える神事です。下鴨神社の和御霊(にぎみたま)は御蔭神社のある御蔭山で生まれた神霊と一体となって若返った荒御魂(あらみたま)になり、それを下鴨神社の本殿に迎え入れます。
葵祭は古墳時代後期の第29代・欽明天皇(540年~571年)の時代に京都をはじめ全国が風水害に見舞われ、飢餓・疫病が流行し、賀茂大神の祟りであるとしたのが起源です。平安時代前期807年(大同2年)に勅祭になり、819年(弘仁10年)に律令制度の中で最も重要な恒例祭祀(中紀)に準じて行われる国家的行事になりました。平安時代中期に祭りと言えば、葵祭のことを指すほど隆盛を極めました。
玉依媛命は賀茂建角身命の娘とされています。玉依媛命は「山城国風土記」によると鴨川で禊をしている時に上流から流れ来た丹塗の矢を拾って、床に置くと矢は美しい男神・火雷神になり、結婚したとされています。その後御子神・賀茂別雷命を生んだという神話が伝えられています。
賀茂建角身命は玉依姫命の父になります。賀茂建角身命は「山城国風土記」によると宮崎・日向の曽の峯に天降り、初代・神武天皇を先導して大和の葛城山に宿り、その後京都・山城の岡田の賀茂から川沿いに賀茂川に至り、上流を遠望して大宮森(上賀茂神社西方)に鎮座したとも言われています。賀茂建角身命は古代に京都を拓いた神とされています。
●下鴨神社御蔭神社は本殿が一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。なお社殿は江戸時代中期の1693年(元禄6年)に社殿が造り替えられたとも、江戸時代後期の1835年(天保6年)に社殿が造り替えられたとも言われています。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
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