下鴨神社雑太社・下鴨神社見どころ(修学旅行)

下鴨神社雑太社

●下鴨神社雑太社(澤田社)は糺の森の中で、賀茂斎院歴代斎王神霊社の南側に祀られています。雑太社は2017年(平成29年)春に第34回式年遷宮の一環事業として再興されました。雑太社は元々鴨社神舘御所内の雑太という場所に御所の鎮祭社として祀られていました。平安時代中期の辞書「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)・承平年間(931年~938年)編纂」によると奈良時代または平安時代に佐渡國雑太郡(さわたのこうり)加茂の加茂神社に分霊されたとも言われています。室町時代の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火で鴨社神舘御所が焼失すると鴨社神宮寺内に移され、江戸時代中期の1708年(宝永5年)に鴨社神宮寺が延焼で焼失すると河合神社内に移されました。1711年(正徳元年)の第23回式年遷宮の一環事業として、鴨社神宮寺内の日吉社と相殿になりました。1959年(昭和34年)の第32回式年遷宮に伴って、昭和20年末に相殿の社殿が解体され、三井神社内に移されました。なお雑太社は神魂命(かんたまのみこと)を祀り、魂が玉に通じるとして球技上達のご利益がるとも言われています。
雑太社前の糺の森馬場では1910年(明治43年)9月10日に関西初のラグビーが行われました。旧制第三高等学校(京都大学)と慶応義塾(慶応義塾大学)の学生にラグビーを習い、ラグビーボールが初めて蹴られ、1969年(昭和44年)に京都大学ラグビー部OBが「第一蹴の地」の石碑が建立されました。なお2019年(令和元年)12月に高さ約50センチ・長さ約80センチ・幅約50センチのラグビーボール形のさい銭箱が奉納されました。
賀茂斎院歴代斎王神霊社は糺の森に祀られている下鴨神社の末社です。賀茂斎院歴代斎王神霊社は2018年(平成30年)4月に再興されました。賀茂斎院歴代斎王神霊社は平安時代前期の第52代・嵯峨天皇の時代(809年(大同4年)~823年(弘仁14年))に勧進されたとも言われ、古くから祀られていたとも言われています。公家の日記などを抜粋・編集した歴史書「百錬抄(ひゃくれんしょう)・鎌倉時代後期の13世紀末頃編纂」の1151(仁平元年)7月4日の条に「一院供養河東御所内中嶋御塔」と記され、平安時代後期に糺の森の鴨社頭賀茂斎院御所の池庭の中嶋に賀茂斎院歴代斎王神霊社が祀られていたことが記されています。1958年(昭和33年)の第32回式年遷宮の際に造替の計画が進められ、祭神は摂社・三井社の末社に仮遷御され、社殿が撤去されました。2015年(平成27年)の第34回式年遷宮の際に再興が計画されました。なお賀茂斎院歴代斎王神霊社には歴代35人の斎王が祀られています。
糺の森は賀茂川(鴨川)と高野川が合流する三角州地帯付近にあります。「糺」には縄を寄り合わせるという意味があり、集め合わせるに通じ、賀茂川と高野川の合流点に合っているとも言われています。糺の森は面積約12万4千平方メートル(東京ドーム約3倍)の原生林です。ちなみに糺の森は794年(延暦13年)の平安京遷都時には面積約495万平方メートルの広さがあったとも言われています。室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火では総面積の7割を焼失したとも言われています。糺の森は縄文時代から生き続け、かつて山城国とも言われていた時代頃の植物相をおおむね留めていると言われています。糺の森には落葉樹を中心に約40種・4,700本の樹木が分布しています。
下鴨神社見どころ

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