東福寺五社成就宮・東福寺見どころ

東福寺五社成就宮

●東福寺五社成就宮は1993年(平成5年)4月9日に京都府指定文化財に指定されました。
●東福寺五社成就宮はかつて平安時代中期の925年(延長3年)に太政大臣・藤原忠平(ふじわらのただひら)が創建した法性寺(ほっしょうじ)の鎮守だったが、1241年(寛元元年)に東福寺の鎮守になって社殿が建立され、1479年(文明11年)に焼失し、その後再建されたました。なお五社成就宮は石清水八幡宮・賀茂社(上賀茂神社・下賀茂神社)・稲荷社(伏見稲荷大社)・春日社(春日大社)・日吉社(日吉大社)の五社を祀り、五社明神社とも言われています。
法性寺は平安時代中期の925年(延長3年)に藤原氏長者で、太政大臣・藤原忠平(ふじわらのただひら)が公家恒例被行脚読経の寺として創建しました。法性寺の寺号は太宰府に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)の怨霊を鎮めたとも言われる天台宗13世座主・法性坊尊意(ほっしょうぼうそんい)に由来するとも言われています。承平年間(931年~938年)に第61代・朱雀天皇の御願寺(ごがんじ)になり、934年(承平4年)に定額寺(じょうがくじ)になったとも言われています。1006年(寛弘3年)に藤原氏長者で、太政大臣・藤原道長(ふじわらのみちなが)が五大堂を建立したと言われています。五大堂に安置されていた中尊・木造不動明王坐像(重要文化財)は現在、東福寺の塔頭・同聚院(どうじゅいん)に安置されています。法性寺は創建以来、藤原家の氏寺として栄え、平安時代後期の藤原氏長者で、太政大臣・通藤原忠通(ふじわらのただみち)の時代(1097年(承徳元年)~1164年(長寛2年))に最盛期を迎え、広大な寺域に大伽藍を構え、京洛二一ケ寺に数えられました。しかし平安時代後期から室町時代に兵火などで焼失し、安土桃山時代頃に廃絶になり、江戸時代に寺屋敷とも言われていました。
●東福寺五社成就宮は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
東福寺見どころ

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