東福寺通天モミジ・東福寺見どころ

東福寺通天モミジ

●東福寺通天モミジ(通天紅葉)は渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)を中心に約2,000本が植えられ、例年11月中旬頃から11月下旬頃に見ごろを迎えます。通天モミジは鎌倉時代に東福寺開山である聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)が南宋(中国)から持ち帰ったと言われています。1869年(明治2年)に東福寺288世・海州楚棟(かいじゅうそとう)が桜と同じように遊興の地となることを危惧し、一度全てを伐採したが、その後再び植えられました。通天モミジは中国原産のムクロジ科の落葉高木である唐楓(とうかえで)です。唐楓は葉先が3つに分かれ、黄金色に染まることから「秋のすゑ」・「洛陽の奇観」とも言われました。なお通天モミジの名称は通天橋に由来しています。
聖一国師・円爾は鎌倉時代前期の1202年(建仁2年)に駿河国安倍郡栃沢(静岡市葵区)に生まれました。幼時から静岡・久能寺(くのうじ)の堯弁(きょうべん)に師事し、倶舎論(くしゃろん)・天台(てんだい)を学びました。18歳で滋賀・三井寺(みいでら)で落髪し、奈良・東大寺(とうだいじ)で受戒しました。その後群馬・長楽寺(ちょうらくじ)の釈円栄朝(しゃくえんえいちょう)、鎌倉・寿福寺(じゅふくじ)の退耕行勇(たいこうぎょうゆう)に師事して臨済禅を学びました。1235年(嘉禎元年)に南宋(中国)に神子栄尊(しんしえいそん)とともに渡航し、中国五山の第一である径山寺(きんざんじ)第34世・無準師範(ぶじゅんしはん)の法を嗣いだ。1241年(仁治2年)に帰国し、1242年(仁治3年)に博多・承天寺(じょうてんじ)を開山し、1236年(嘉禎2年)に東福寺(とうふくじ)を開山しました。ちなみに博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)は円爾が民衆に担がれた施餓鬼棚(せがきだな)に乗り、町を水を撒きながら清めて疫病退散を祈祷したのが始まりと言われています。また宮中で禅を講じて臨済宗(りんざいしゅう)の流布に尽力したり、1269年(文永6年)に10代目東大寺大勧進職に任命されたりしました。晩年に故郷の駿河国に戻り、母親の実家近くの蕨野(わらびの)に回春院(かいしゅんいん)を開山しました。また南宋(中国)から持ち帰ったお茶を栽培させ、静岡茶(本山茶)の始祖とも称されています。静岡市では円爾の誕生日である11月1日を「静岡市お茶の日」に制定しています。円爾は「三教要略」などを記しました。なお聖一国師・円爾は1280年(弘安3年)11月10日に亡くなりました。
通天橋は1959年(昭和34年)の台風で崩壊し、1961年(昭和36年)に再建されました。通天橋はかつて南北朝時代の1380年(康暦2年・天授6年)に相国寺第2世・春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が洗玉澗を渡る労苦から僧侶を救う為、南宋(中国)径山(きんざん)の橋を模して架けたと言われています。春屋妙葩は橋を「通天橋」と名付け、入口には春屋妙葩筆の「通天橋」が掲げられていたそうです。ちなみにかつての通天橋は鶯張り(うぐいすばり)だったとも言われています。なお通天橋は偃月橋(えんげつきょう)・臥雲橋(がうんきょう)とともに東福寺三名橋と言われています。
東福寺見どころ

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