東寺宝菩提院・東寺見どころ

東寺宝菩提院

●東寺宝菩提院は鎌倉時代後期の1279年(弘安2年)に第三長者・亮禅(りょうぜん)が創建しました。宝菩提院は観智院(かんちいん)とともに東寺の別格の子院で、住持(じゅうじ・住職)は観智院と同じく、東寺の別当職に補せられました。なお宝菩提院は櫛笥小路(くしげこうじ)を挟んで左右対称の位置に建立されていたが、1881年(明治14年)の総黌(洛南高校)開学に伴って現在の場所に移されました。
宝菩提院は鎌倉時代後期以降に経蔵が三密蔵(さんみつぞう)と言われ、真言聖教の宝庫でした。ちなみに宝菩提院はいずれも国宝である絹本着色愛染明王画像(けんぽんちゃくしょくあいぜんみょうおうがぞう)・伝巨勢金岡(こせのかなおか)筆の宝楼閣曼荼羅一幅(ほうろうかくまんだらいっぷく)などを有しています。また宝菩提院は東寺西院流能禅方(にしのいんりゅうのうぜんかた)の法流本山(ほうりゅうほんざん)です。
第三長者は東寺長者(とうじちょうじゃ)の序列のひとつです。東寺長者は東寺の管理者・長官である僧侶です。また東寺真言宗の長であるとともに真言宗の最高位としての権威を兼ね備えています。真言宗の宗祖である弘法大師・空海を第1世長者と数える場合もあるが、平安時代前期の835年(承和2年)に弘法大師・空海が亡くなり、翌836年(承和3年)5月に補任された弘法大師・空海の一族で、十大弟子の一人である実恵(じちえ)が初代長者とされています。東寺長者は当初1名だったが、841年(承和8年)に2名、898年(昌泰元年)に3名、969年(安和2年)に4名に増員され、以降4名の長者によって東寺の寺務が執られました。東寺長者は時期によって序列があり、一長者(第一長者)・二長者(第二長者)・三長者(第三長者)・四長者(第四長者)と言われました。最上位の一長者は一阿闍梨(あじゃり)とも言われ、東寺の貫主(住職)とともに872年(貞観14年)に仏教界・諸大寺を統率する法務も兼ねました。なお鎌倉時代後期に後宇多上皇(第91代・後宇多天皇)が東寺長者よりも更に上位の権威を持つ真言密教最高位の東寺座主(ざす).を創設しました。
観智院は鎌倉時代後期の1308年(延慶元年)に後宇多法皇(第91代・後宇多天皇)が御影堂(西院)に参籠した際、僧侶の住房として計画したのが起源とも言われています。南北朝時代の1359年(延文4年・正平14年)頃に杲宝(ごうほう)が創建しました。その後杲宝の弟子・賢宝(げんぽう)が本尊・五大虚空蔵菩薩を安置しました。江戸時代に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の黒印状にあるように真言宗一宗の勧学院と言われました。なお杲宝・賢宝は東寺に伝わる数多くの文書類を編纂しました。杲宝・賢宝が集めた密教の聖教類は1万5千件以上にもなります。
東寺見どころ

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