東寺食堂・東寺見どころ(修学旅行)

東寺食堂

●東寺食堂は1934年(昭和9年)に3年間掛かって再建されました。東寺食堂は835年(承和2年)の真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)没後の平安時代(9世紀末~10世紀初め)頃に建立されたが、安土桃山時代の1596年(文禄5年)の慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)で倒壊しました。江戸時代後期の1800年(寛政12年)から再建が開始され、1930年(昭和5年)12月21日の終い弘法(弘法市)の日に火災で焼失しました。東寺食堂に安置されていた本尊・千手観音立像(国宝)と四天王像(国宝)も焼損しました。四天王像は3メートルを越す持国天(じこくてん)・増長天(ぞうちょうてん)・広目天(こうもくてん)・多聞天(たもんてん)で、日本最大級の四天王像でした。なお東寺食堂には現在、彫刻家・明珍恒男(みょうちんつねお)作の十一面観音像が本尊として安置されています。
一般的に食堂は寺院で僧侶が斎食(さいじき)する為の堂塔です。食堂は古くは身分の低い僧侶が食事をする場所で、平安時代まで寺院の主要な堂塔の一つでした。食堂は多くの僧侶が食事をすることから講堂とほぼ同じ規模があったと言われています。食堂には文殊菩薩(もんじゅぼさつ)・賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)が安置されることが多かったそうです。禅宗寺院では斎堂(さいどう)・僧堂(そうどう)、それ以外では庫裡(くり)に移行しました。法隆寺(ほうりゅうじ)に奈良時代の遺構があり、東大寺(とうだいじ)興福寺(こうふくじ)に遺跡が残されています。
千手観音(せんじゅかんのん)・十一面観音(じゅういちめんかんのん)は六観音の一尊です。六観音は千手観音・十一面観音・聖観音(しょうかんのん)・馬頭観音(ばとうかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)・准胝観音(じゅんでいかんのん)または不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)です。
観音菩薩は菩薩の一尊で、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ)・救世菩薩(くせぼさつ)・観音さまなどとも言われています。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。「観音経」では様々に姿を変える三十三応化身(さんじゅうさんおうげしん)が説かれています。
●東寺食堂は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
東寺見どころ

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