東寺夜叉神堂・東寺見どころ(修学旅行)

東寺夜叉神堂

●東寺夜叉神堂は講堂(重要文化財)と食堂の間に建立されています。夜叉神堂はかつて南大門の左右に建立されていたが、旅人が拝まないで通るとたちまち罰が当たったことからかつて建立されていた中門の左右に移されました。その後安土桃山時代の1596年(慶長元年)に中門が倒壊すると現在の場所に東西2棟の小堂が建立されました。東側の小堂に文殊菩薩(もんじゅぼさつ)を本地(ほんじ)とする雄夜叉、西側の小堂に虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を本地とする雌夜叉が祀られています。雄夜叉・雌夜叉は真言宗の宗祖である弘法大師・空海が造仏したとも言われています。雄夜叉・雌夜叉は仏法守護(ぶっぽうしゅご)を本誓とし、歯痛平癒のご利益があると言われています。その昔、修業をしていた僧侶が歯痛から修行に集中できずに困り、夜叉神に祈願すると歯痛が治ったと言われています。その後歯痛を治すとして信仰され、ご利益があると御礼に割飴(わりあめ)を奉納したそうです。
夜叉(夜叉神)は元々顔かたちが恐ろしく、性質が猛悪で、人を食らうとも言われる古代インド神話に登場する鬼神でした。その後仏教に取り入れられ、仏法・仏教徒を守護する鬼神(護法善神(ごほうぜんじん))になりました。夜叉は天(てん)・龍(りゅう)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩ご羅伽(まごらが)とともに仏法を守護する八部衆(はちぶしゅう)に数えられました。また夜叉は毘沙門天(びしゃもんてん)の眷族(けんぞく)とされ、羅刹(らせつ)とともに北方を守護するとされています。なお夜叉には男・女があり、天夜叉・地夜叉・虚空夜叉の三種があるとも言われています。
弘法大師・空海は奈良時代の774年(宝亀5年)に讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で父・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)と母・阿刀大足(あとのおおたり)の妹の間に生まれました。789年(延暦8年)に15歳で母方の叔父・阿刀大足(あとのおおたり)のもとで論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に18歳で官僚育成機関である大学寮(だいがくりょう)に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗(さんろんしゅう)の僧で、東大寺(とうだいじ)別当・勤操(ごんそう)のもとで南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使(けんとうし)として唐(中国)に渡り、長安で青竜寺(せいりゅうじ)の恵果(えか)のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位(でんぽうあじゃりい)の灌頂(かんじょう)を受け、遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺(こんごうぶじ)創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)3月21日に高野山で亡くなりました。
●東寺夜叉神堂は切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
東寺見どころ

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