八坂神社大政所社・八坂神社見どころ(修学旅行・観光)

八坂神社大政所社

●八坂神社大政所社本殿は2020年(令和2年)12月23日に国の重要文化財に指定されました。
●八坂神社大政所社は現在の本殿が1912(明治45年)に建立されました。大政所社は974年(天延2年)に秦助正(はたのすけまさ)が「汝の家を影向の地とせん 速やかに朝廷に奏上せよ」との八坂大神(やさかのおおかみ)からの神託を夢の中で受け、第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)も同じ夢を見ていたことから秦助正の自宅が大政所社(大政所御旅所)になり、神殿が造営されたとも言われています。神託の翌朝、八坂神社の神職は本殿から秦助正の自宅の庭の塚まで蜘蛛(くも)の糸が続いていたのを見つけたとも言われています。その後1536年(天文5年)に焼失し、1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命により、少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ)と統合し、現在の八坂神社御旅所に移されました。大政所社は現在施錠され、立ち入りが制限されています。なお大政所社ではかつて祇園祭の際に大政所神輿(素戔嗚尊(すさのおのみこと))・八王子神輿(八柱御子神(やはしらのみこがみ))が泰安されていました。ちなみに現在は祇園祭の還幸祭の際に中御座神輿・東御座神輿・西御座神輿が立ち寄って泰安され、八坂神社の神職が拝礼します。またかつて7月16日には長刀鉾(なぎなたほこ)の神剣拝戴の儀式が行われていました。
秦助正は平安時代の有力者(長者)とも言われています。秦助正は東洞院大路(ひがしのとういんおおじ)・烏丸小路(からすまこうじ)・高辻小路(たかつじこうじ)・四条大路(しじょうおうじ)に囲まれた広大な私宅を持っていたとも言われています。
第64代・円融天皇は959年(天徳3年)4月12日に第62代・村上天皇と右大臣・藤原師輔の娘・藤原安子の第5皇子・守平親王として生まれました。母が亡くなるとその妹・藤原登子に育てられました。967年(康保4年)7月5日に兄・憲平親王が第63代・冷泉天皇として即位すると立太子され、969年(安和2年)9月27日に冷泉天皇が譲位すると数え年11歳で第64代・円融天皇に即位しました。即位後に藤原氏の勢力争いに翻弄され、984年(永観2年)9月24日に第65代・花山天皇に譲位し、985年(寛和元年)に落飾して金剛法と号し、仁和寺の一院である御願寺・円融寺に住して風流文雅の生活を送り、京都府八幡市の石清水八幡宮・滋賀県大津市の石山寺・南都(奈良)の諸寺などに御幸し、991年(正暦2年)3月1日に崩御しました。死後に円融寺の北原で火葬され、背後の朱山(しゅやま)の火葬塚に納骨されたと言われています。
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●八坂神社大政所社本殿は一間社流造(ながれづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。なお765年(天平宝字9年・天平神護元年)に奈良・西大寺(さいだいじ)で銅板葺が用いられたのが最古の記録とも言われています。
八坂神社見どころ八坂神社七不思議

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