恭仁宮跡コスモス見ごろ2025(10月中旬~10月下旬頃)
恭仁宮跡コスモス見ごろ(見頃)
恭仁宮跡コスモス見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。恭仁宮跡では恭仁宮跡の休耕田にコスモスが植えられ、ピンク・濃いピンク・紫・白色など色とりどりの花を咲かせます。恭仁宮跡一帯には彼岸花・蕎麦なども植えられ、コスモスと一緒に楽しめる場合もあります。(詳細下記参照)
【恭仁宮跡コスモス見ごろ(例年時期)】
恭仁宮跡のコスモスの見ごろ例年10月中旬頃から10月下旬頃です。ただコスモス見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都コスモス名所・見ごろ
【恭仁宮跡コスモス見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府木津川市加茂町例幣
最寄り駅・バス停・・・恭仁宮跡(徒歩すぐ)
https://www.google.com/maps/d/embed?mid=1R3NynxMzkAC3tIdjRMi259hRtVs
アクセス路線は次の通りです。
*JR加茂駅からコミュニティバス(奥畑線・銭司線・西線)
【恭仁宮跡コスモス見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
恭仁宮跡はコスモス(秋桜)の名所です。恭仁宮跡のコスモス見ごろは例年10月中旬頃から10月下旬頃です。恭仁宮跡では恭仁小学校の小学生などがコスモスを植えているそうです。
恭仁宮跡では恭仁宮跡の休耕田にコスモスが植えられ、ピンク・濃いピンク・紫・白色など色とりどりの花を咲かせます。恭仁宮跡一帯には彼岸花・蕎麦なども植えられ、コスモスと一緒に楽しめる場合もあります。コスモスが咲き始める頃に彼岸花・蕎麦が見ごろを迎えるとも言われています。
恭仁小学校は京都府木津川市加茂町にある木津川市立の小学校です。恭仁小学校は1873年(明治6年)2月に相楽瓶原小学校として創立されたのが始まりです。
コスモスはキク科コスモス属の春まき一年草の植物です。コスモスは熱帯アメリカ(メキシコ)原産です。1789年にメキシコからスペインのマドリード王立植物園に送られ、1791年にアントニオ・ホセ・カヴァニレスがコスモス(Cosmos)と名付け、1887年(明治20年)頃に美術学校教師・ラグザーがイタリアから日本に伝えたと言われています。コスモスは高さ1~2メートルで、葉は二回羽状複葉(うじょうふくよう)で、裂片(れつへん)が線形の葉を対生しています。花は茎の上部から出た枝の先端に径4~8センチの頭状花(とうじょうか)がつき、頭状花周辺に8個の舌状花(ぜつじょうか)が大きく開きます。頭状花は黄色、舌状花は白色・紅色・淡紅色・紅紫色などがあり、大輪咲き・八重咲き・コラレット咲きなどの園芸種があります。コスモスは元来短日植物で秋に開花するが、最近は品種改良が進み、日長に関係なく播種後70日ほどで開花する早咲き品種などもあります。コスモスは秋の季語になっています。
【恭仁宮跡 歴史・簡単概要】
恭仁宮跡(くにきょうあと・くにのみやあと)・大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)は京都府木津川市加茂地区にあった恭仁宮の跡です。恭仁宮は740年(天平12年)12月15日に第45代・聖武天皇の勅命によって平城京(へいじょうきょう)から遷都して都になりました。恭仁宮は741年(天平13年)9月に左京・右京が定められ、11月に大養徳恭仁大宮という正式名称が決定され、平城京から大極殿が移築されて宮殿が造営されたが、743年(天平15年)末には造営が中止になりました。742年(天平14年)秋に離宮・近江紫香楽宮(しがらきのみや)の造営が始まり、聖武天皇は紫香楽宮に移り、744年(天平16年)2月に難波京(なにわきょう)に遷都、745年(天平17年)5月には平城京に更に遷都されました。ちなみに恭仁宮は南北約750メートル・東西約560メートルの南北に長い長方形だったと言われています。その後748年(天平18年)に恭仁宮・大極殿が山城国分寺に施入され、大極殿が金堂になり、七重塔や鎮守社・御霊神社(ごりょうじんじゃ)などの伽藍が整備されました。なお恭仁宮跡・山城国分寺跡は国の史跡に指定されています。ちなみに恭仁宮は3年余りで難波宮に遷都したことから「幻の都」とも言われています。
*参考・・・恭仁宮跡(アクセス・歴史・・・)
【恭仁宮跡コスモス見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
恭仁宮跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報