高源寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
高源寺
高源寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。高源寺には江戸幕府の大老で、1858年(安政5年)に日米修好通商条約に調印し、1860年(安政7年)の桜田門外の変で暗殺された近江彦根藩15代藩主・井伊直弼(いいなおすけ)の菩提を弔い続けた直弼の愛妾・村山たか(村山加寿江・可寿江)の肖像画(通常非公開)が残されています。
【高源寺 アクセス・マップ】
場所・・・犬上郡多賀町楢崎374
最寄り駅・バス停・・・楢崎(徒歩約5分)
アクセスは次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR琵琶湖線・川瀬駅からバス
【高源寺 拝観時間・時間(要確認)】
8:00~16:00
【高源寺 拝観料金・料金(要確認)】
村山たか女肖像画・絹本著色源氏物語明石之巻襖絵300円
【高源寺 歴史・簡単概要】
高源寺(こうげんじ)は鎌倉時代に近江源氏・佐々木氏の四天王に数えられた楢崎氏の菩提寺として創建されたとも言われています。高源寺は当初天台宗に属し、十福寺とも言われていたそうです。その後織田信長によって佐々木氏が滅ぼされると楢崎氏もこの地を離れて廃寺になったと言われています。江戸時代初期に彦根藩主・井伊家の家老である脇家・宇津木家の両家が再興し、両氏の院号に因んで天徳山高源寺と名付けられました。高源寺は最盛期に書院30坪・仏殿25坪・奥殿30坪・禅堂32坪などを有し、常に50有余人が住した湖東の名刹・大寺院でだったが、1876年(明治9年)の火災によって豊臣政権の五奉行の一人である石田三成の居城であった佐和山城(さわやまじょう)の裏門を移した総門以外の全ての伽藍を焼失しました。その後1881年(明治14年)に多賀から正覚院・般若院・不動院が移されて再建されました。
高源寺は臨済宗妙心寺派の寺院です。
*参考・・・高源寺(アクセス・歴史・・・)・高源寺(アクセス・歴史・・・)
【高源寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
高源寺の見どころは石田三成の居城・佐和山城の裏門を移した総門です。ちなみに佐和山城は鎌倉時代に近江守護職・佐々木定綱(ささきさだつな)の六男・佐保時綱(ささきときつな)が築いた砦が起源とされ、六角氏・浅井氏などによって支配され、1590年(天正18年)に石田三成が入城し、山頂に天守を築いたと言われています。
【高源寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0749-49-0821
【高源寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【高源寺 おすすめ散策ルート】
高源寺からのおすすめ散策ルートは南南東にある大瀧神社に向かうルートです。25分ほど散策すれば、多賀の自然を感じながら大瀧神社に行くことができます。なお高源寺は市街地から少し離れ、周囲に観光スポットがあまり多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。