大聖寺椿見ごろ2024(やぶ椿)

大聖寺椿見ごろ(見頃)

大聖寺椿見ごろ(イベント・・・)を紹介。大聖寺にはやぶ椿などが植えられています。ただ大聖寺は通常非公開の為、塀越しにやぶ椿を楽しむしかありません。なお大聖寺では毎年冬に行われている京の冬の旅で特別公開されたり、京都府立植物園で行われるツバキ展でやぶ椿が公開されたりすることがあります。(要確認)(詳細下記参照)

【大聖寺椿見ごろ(例年時期)】
大聖寺の椿見ごろは現在調査中です。なお椿の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都椿名所・見ごろ

【大聖寺椿見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区烏丸今出川上ル御所八幡町109
最寄り駅・バス停・・・今出川駅(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大聖寺は地下鉄烏丸線
地下鉄・アクセスダイヤ

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【大聖寺椿見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
大聖寺は京都で知られている椿の名所です。大聖寺の椿見ごろは現在調査中です。
大聖寺にはやぶ椿などが植えられています。ただ大聖寺は通常非公開の為、塀越しにやぶ椿を楽しむしかありません。なお大聖寺では毎年冬に行われている京の冬の旅で特別公開されたり、京都府立植物園で行われるツバキ展でやぶ椿が公開されたりすることがあります。(要確認)
やぶ椿は青森県から沖縄県までの太平洋側の海岸など暖地の丘陵などに自生しています。やぶ椿はツバキ科ツバキ属の常緑樹・照葉樹林の代表的です。一般的に椿と言うとやぶ椿を指しています。やぶ椿は江戸時代以降に数多くの園芸品種のもとになりました。なおヤブツバキは代表的な茶花で、日本最古の観賞用花木とも言われています。
椿は日本原産のツバキ科ツバキ属の常緑樹(照葉樹林)です。椿は北海道などを除く、日本各地に自生しています。椿は日本最古の正史「日本書紀」に第12代・景行天皇が熊襲(くまそ)の乱を鎮めた際、土蜘蛛(つちぐも)に対して海石榴(ツバキ)の椎を用いたと記されています。椿は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が茶の湯に好んで用いると茶道で茶花として重要な地位を占めるようになりました。椿は江戸時代以降に多くの園芸品種が作られ、500以上の園芸品種があると言われています。なお椿は邪悪を祓うとも言われ、正倉院には災いを祓う海石榴の卯杖(うづえ)が収められています。
京の冬の旅・非公開文化財特別公開は1967年(昭和42年)に始まり、冬の京都の魅力を発信しています。京の冬の旅ではテーマを決めて通常非公開の文化財が一般に特別公開されます。

【大聖寺 歴史・簡単概要】
大聖寺(だいしょうじ)・萩寺は南北朝時代の1368年(正平23年・応安元年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が北朝初代・光厳天皇(こうごんてんのう)の法事を天龍寺(てんりゅうじ)で行った後、出家した天皇妃・無相定円禅尼(むそうていえんぜんに・日野宣子(ひののぶこ))を室町御所・岡松殿(おかまつでん)に迎えて安禅所にしたのが起源です。大聖寺の寺号は無相定円禅尼の法名「大聖寺殿無相定円禅定尼」に由来しています。その後長谷(ながたに)に移って、北山大聖寺と称しました。しかし更に毘沙門町に移ったり、焼失したりし、江戸時代中期の1697年(元禄10年)に旧地・岡松殿跡に戻りました。ただ江戸時代後期の1788年(天明8年)の天明の大火でも再び焼失し、その後第119代・光格天皇(こうかくてんのう)が再興を続けました。なお北朝第5代・後円融天皇(ごえんゆうてんのう)の皇女・護渓理栄宮(ごけいりえいのみや)の入寺以来、御寺御所(おてらのごしょ)と言われ、第114代・中御門天皇(なかみかどてんのう)の第7皇女・天巌永皎尼(永皎女王(えいこうじょおう))が住持の時に「御寺御所」の称号を賜りました。
大聖寺は臨済宗系単立の寺院です。
*参考・・・大聖寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【大聖寺椿見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
大聖寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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