京都亥年(2031年)初詣スポット(護王神社・・・)

護王神社

京都亥年の初詣スポット

京都亥年(いのししどし)の初詣スポットを紹介しています。護王神社は境内に狛犬の代わりに狛猪が置かれています。狛猪は祭神・和気清麻呂が弓削道鏡が天皇になろうとした宇佐八幡宮神託事件で野望を挫き、皇統を守って流罪になった際、突如現われた300頭の猪によって弓削道鏡の刺客から救ったことに由来しています。

【京都亥年の初詣スポット 十二支】
十二支(じゅうにし)は子(ね・鼠(ねずみ))・丑(うし・牛)・寅(とら・虎)・卯(う・兎(うさぎ))・辰(たつ・龍(りゅう))・巳(み・蛇(へび))・午(うま・馬)・未(ひつじ・羊)・申(さる・猿)・酉(とり・鶏(にわとり))・戌(いぬ・犬)・亥(い・猪(いのしし))からなります。十二支は中国の殷(いん)時代(紀元前17世紀頃~紀元前1046年)に甲骨文字(こうこつもじ)を記す際に十干(じっかん)と組み合わされて日付の記録に利用されていました。中国の戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)以降に日(日付)だけでなく、年・月・時刻・方位の記述にも利用されるようになりました。中国ではインドの木星紀年法を取り入れ、動物を当てはめたと言われています。日本では古代に中国から伝わり、5世紀の古墳の出土品に「辛亥年七月中。」などという干支が刻まれています。

【京都亥年の初詣スポット 言社(下鴨神社の末社)】
何年でも、何年生まれでもご利益があるとも言われています。
●下鴨神社(しもがもじんじゃ)の末社・言社(ことしゃ)は十二支の守護神です。言社の祭神・大国主命(おおくにぬしのみこと)は7つの名前と7つの働きを持ち、その名前ごとに7つの社が祀られています。巳(み)・未(ひつじ)の守護神は一言社(東社)、午(うま)の守護神は一言社(西社)、子(ね)の守護神は二言社(北社)、丑(うし)・亥(い)の守護神は二言社(南社)、卯(う)・酉(とり)の守護神は三言社(北社)、寅(とら)・戌(いぬ)の守護神は三言社(中社)、辰(たつ)・申(さる)の守護神は三言社(南社)です。
言社(ことしゃ)・大国さまは起源が明確ではありません。言社は日本最古の歴史書「古事記(こじき)」の因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)に登場する大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀っています。
言社・十二支の守護神

スポンサーリンク

【京都亥年の初詣スポット 護王神社】
●護王神社(ごおうじんじゃ)は境内に狛犬の代わりに狛猪が置かれています。狛猪は祭神・和気清麻呂(わけのきよまろ)が弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が天皇になろうとした宇佐八幡宮神託事件で野望を挫き、皇統を守って流罪になった際、突如現われた300頭の猪によって弓削道鏡の刺客から救ったことに由来しています。
護王神社(ごおうじんじゃ)・いのしし神社は第50代・桓武天皇に平安京遷都を進言した和気清麻呂(わけのきよまろ)を祀った神護寺(じんごじ)山内の霊社・護王善神堂が起源です。神護寺は824年(天長元年)に和気清麻呂の五男・真綱(まつな)と六男・仲世(なかよ)の要請により、いずれも和気氏の私寺であった神願寺と高雄山寺が合寺したのが起源です。江戸時代後期の1851年(嘉永4年)に第121代・孝明天皇は和気清麻呂に神階神号「正一位護王大明神」を授け、1874年(明治7年)に護王善神堂を護王神社に改めて別格官幣社に列せられました。1886年(明治19年)に第122代・明治天皇の勅命により、京都御苑蛤御門(はまぐりごもん)前付近の中院家(なかのいん け)の邸宅跡に移されました。その後祭神・和気清麻呂の姉・和気広虫(わけのひろむし)も主祭神に合祀されました。
護王神社・京都亥年の初詣スポット

【京都亥年の初詣スポット 禅居庵】
●禅居庵(ぜんきょあん)は境内に狛犬の代わりに狛猪が置かれています。狛猪は仏法を護る善神・摩利支天(まりしてん)が七頭の猪の上に座していることに由来しています。摩利支天は古来から開運勝利のご利益があるとも言われています。摩利支天は亥歳生まれの方の守り神として信仰されています。
禅居庵(ぜんきょあん)は鎌倉時代末期の元弘年間(1331年~1333年)に信濃守護で、信濃小笠原氏当主・小笠原貞宗(おがさわらさだむね)が元(中国)からの渡来僧(臨済宗の僧)である清拙正澄禅師(せいせつしょうちょうぜんじ)・大鑑禅師(だいかんぜんじ)を開山として創建したと言われています。清拙正澄禅師・大鑑禅師将来の摩利支天像(日本三大摩利支天)は鎮守・秘仏として祀られています。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))などや1536年(天文5年)の天文の大火で焼失しました。戦国時代の1547年(天文16年)に織田信長(おだのぶなが)の父・織田信秀(のぶひで)が摩利支天堂を再建し、1597年(慶長2年)に進月正精(しんげつしょうせい)が再興しました。元禄年間(1688年~1704年)・享保年間(1716年~1736年)・安政年間(1855年~1860年)に整備や大改修が行われました。なお1911年(明治44年)に現在の建物が再建されたが、1973年(昭和48年)に本堂を焼失しました。
禅居庵・京都亥年の初詣スポット

【京都亥年の初詣スポット 備考】
京都初詣ランキング

関連記事

ページ上部へ戻る