清凉寺梅見ごろ2024(時期:2月下旬~3月下旬頃)

清凉寺梅見ごろ(見頃)

清凉寺梅見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。清凉寺の梅見ごろは例年2月下旬頃から3月下旬頃です。清凉寺には白梅・紅梅などが植えられ、梅と本堂・阿弥陀堂・多宝塔・仁王門・竹仙などの光景が美しいと言われています。本堂東側に中古三十六歌仙・和泉式部ゆかりの軒端の梅も植えられているが、かなり樹勢が衰えています。(詳細下記参照)

【清凉寺梅見ごろ(例年時期)】

清凉寺の梅見ごろは例年2月下旬頃から3月下旬頃です。なお梅の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都梅見ごろ2024(北野天満宮・梅宮大社・・・)

【清凉寺梅見ごろ アクセス・マップ】

場所・・・京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
最寄り駅・バス停・・・嵯峨釈迦堂前(徒歩約1分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から清凉寺は28系統(D3乗り場)
*四条烏丸からは91系統
路線・時刻表・運賃チェック

*JR嵯峨野線の場合、最寄り駅は嵯峨嵐山駅(徒歩約15分)
*嵐電(京福電鉄)嵐山線の場合、最寄り駅は嵐山駅(徒歩約15分)

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【清凉寺梅見ごろ(例年時期)・見どころ 概要】

清凉寺はあまり知られてない梅の名所です。清凉寺の梅見ごろは例年2月下旬頃から3月下旬頃です。
清凉寺には境内に白梅(はくばい)・紅梅(こうばい)などが植えられ、梅と本堂・阿弥陀堂・多宝塔・仁王門・竹仙などの光景が美しいと言われています。本堂・阿弥陀堂・多宝塔近くに比較的多くの梅の木が植えられています。本堂東側には中古三十六歌仙・和泉式部(いずみしきぶ)ゆかりの軒端の梅(のきはのうめ)も植えられているが、かなり樹勢が衰え、僅かな花しか咲かなくなっているそうです。
清凉寺では梅の見ごろである例年3月15日に京都三大火祭に数えられているお松明式(おたいまつしき)が行われています。お花見と一緒に楽しむのがおすすめです。お松明式はお釈迦様が荼毘に付される様子を再現した行事です。お松明式では高さ約7メートルの3本の大松明を早稲・中稲・晩稲に見立て、その火勢の強弱により、その年の農作物の豊凶を占います。

  • 本堂(京都府指定文化財)は1637年(寛永14年)の嵯峨の大火によって焼失し、1701年(元禄14年)に再建されました。本堂は「三国伝来の釈迦像」と言われている本尊・三国伝来生身釈迦如来像(国宝)を安置しています。
  • 阿弥陀堂は1863年(文久3年)に再建されたとも言われています。阿弥陀堂にはかつて阿弥陀三尊坐像を安置していました。なお阿弥陀堂は本瓦葺の入母屋造です。
  • 多宝塔(京都府指定文化財)は1700年(元禄13年)に東京・護国寺で行われた「三国伝来の釈迦像」の出開帳の際に寄進され、1703年(元禄16年)に船で境内に移されました。
  • 仁王門(京都府指定文化財)も嵯峨の大火によって焼失し、1784年(天明4年)に再建されました。仁王門はケヤキ造りの二階二重門で、初層に室町時代に造仏された仁王像、上層に十六羅漢像を安置しています。
  • 軒端の梅はかつて平安時代に中古三十六歌仙・和泉式部(いずみしきぶ)が東北院(とうほくいん)に手植えしたとも言われる梅の木です。軒端の梅は世阿弥作の謡曲「東北」にも登場します。「東北」は旅の僧侶が梅名所である東北院に行くとひとりの女性が現れ、梅は和泉式部が植えたことを知ります。僧侶は女性が和泉式部であることを悟り、お経を唱えると和泉式部が歌舞の菩薩となって現れ、和歌の徳・仏法のありがたさを説くというものです。
  • 和泉式部は大江雅致の娘で、冷泉天皇の皇后・昌子に仕えました。その後和泉守・橘道貞と結婚し、小式部内侍を生んだが、道貞とは別居しました。後冷泉天皇の第3皇子・為尊親王やその弟・敦道親王から求愛されたり、道長四天王と称された藤原保昌と再婚したりし、その恋愛遍歴から関白・藤原道長からは「浮かれ女」と評されたり、「源氏物語」の作者・紫式部の「紫式部日記」には「和泉式部という人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ」と記されたりしました。

清凉寺見どころ

●京都で人気の梅名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
京都梅名所・見ごろ

【清凉寺・嵯峨釈迦堂 歴史・簡単概要】

清凉寺(せいりょうじ)・嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)は第52代・嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデルとも言われている左大臣・源融(みなもとのとおる)の山荘・棲霞観(せいかかん)があった場所です。清凉寺は源融の一周忌である896年(寛平8年)に子息が阿弥陀三尊像を造仏して阿弥陀堂に安置し、棲霞寺(せいかじ)と号したのが起源とも、945年(天慶8年)に重明親王妃(しげあきらしんのうひ)が新堂を建立し、等身大の釈迦像を安置したのが起源とも言われています。その後987年(永延元年)に奝然上人(ちょうねんしょうにん)が愛宕山を中国の五台山に模し、「三国伝来の釈迦像」を安置する大清凉寺を建立しようとしたが、途中で亡くなり、弟子・盛算(じょうさん)が遺志を受け継ぎ、棲霞寺内に釈迦堂を建立しました。1279年(弘安2年)に円覚(十万)上人の大念仏(融通念仏)が伝わったとも言われています。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって焼失したが、1481年(文明13年)に再興され、1602年(慶長7年)には関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼の寄進によって釈迦堂(本堂)が再建されました。しかしその後も嵯峨の大火や大地震に見舞われ、1701年(元禄14年)に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉や生母・桂昌院(けいしょういん)らの発願によって本堂が再建されました。
清凉寺は浄土宗の寺院です。
*参考・・・京都清凉寺・嵯峨釈迦堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【清凉寺梅見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
清凉寺・嵯峨釈迦堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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