清凉寺梅見ごろ(2月下旬~3月下旬頃)梅名所

清凉寺梅見ごろ

清凉寺梅見ごろ(イベント・・・)情報を紹介しています。清凉寺には境内に白梅・紅梅などが植えられ、梅と本堂・阿弥陀堂・多宝塔・仁王門・竹仙などの光景が美しいと言われています。清凉寺には本堂東側に中古三十六歌仙・和泉式部ゆかりの軒端の梅も植えられているが、かなり樹勢が衰え、僅かな花しか咲かなくなっています。(詳細下記参照)

【清凉寺梅見ごろ(要確認)】
清凉寺の見ごろは例年2月下旬頃から3月下旬頃です。なお梅の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都梅見ごろ2020京都梅名所

【清凉寺梅・清凉寺 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
最寄り駅・バス停・・・嵯峨釈迦堂前(徒歩約1分)

市バスのアクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から清凉寺は28系統(D3乗り場)
*四条烏丸からは91系統
京都市バス・アクセスダイヤ京都バス・鉄道乗換案内システム「歩くまち京都」

*JR嵯峨野線の場合、最寄り駅は嵯峨嵐山駅(徒歩約15分)
*嵐電(京福電鉄)嵐山線の場合、最寄り駅は嵐山駅(徒歩約15分)

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【清凉寺梅見ごろ・見どころ】
清凉寺はあまり知られてない梅の名所です。清凉寺の見ごろは例年2月下旬頃から3月下旬頃です。清凉寺には境内に白梅・紅梅などが植えられ、梅と本堂・阿弥陀堂・多宝塔・仁王門・竹仙などの光景が美しいと言われています。清凉寺には本堂東側に中古三十六歌仙・和泉式部(いずみしきぶ)ゆかりの軒端の梅(のきはのうめ)も植えられているが、かなり樹勢が衰え、僅かな花しか咲かなくなっています。
本堂(京都府指定文化財)は1637年(寛永14年)の嵯峨の大火によって焼失し、1701年(元禄14年)に再建されました。本堂は「三国伝来の釈迦像」と言われている本尊・三国伝来生身釈迦如来像(国宝)を安置しています。
阿弥陀堂は1863年(文久3年)に再建されたとも言われています。阿弥陀堂にはかつて阿弥陀三尊坐像を安置していました。なお阿弥陀堂は本瓦葺の入母屋造です。
多宝塔(京都府指定文化財)は1700年(元禄13年)に東京・護国寺で行われた「三国伝来の釈迦像」の出開帳の際に寄進され、1703年(元禄16年)に船で境内に移されました。
仁王門(京都府指定文化財)も嵯峨の大火によって焼失し、1784年(天明4年)に再建されました。仁王門はケヤキ造りの二階二重門で、初層に室町時代に造仏された仁王像、上層に十六羅漢像を安置しています。
軒端の梅(のきはのうめ)はかつて平安時代に中古三十六歌仙・和泉式部(いずみしきぶ)が東北院(とうほくいん)に手植えしたとも言われる梅の木です。軒端の梅は世阿弥作の謡曲「東北」にも登場します。「東北」は旅の僧侶が梅の名所である東北院に行くとひとりの女性が現れ、梅は和泉式部が植えたことを知ります。僧侶は女性が和泉式部であることを悟り、お経を唱えると和泉式部が歌舞の菩薩となって現れ、和歌の徳・仏法のありがたさを説くというものです。
梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木です。梅は630年(舒明2年)から838年(承和5年)に派遣された遣唐使(けんとうし)が唐(中国)から日本に伝えたと言われています。梅には500種以上の品種があるが、野梅系(やばいけい)・紅梅系(緋梅系)・豊後系(ぶんごけい)に大きく分類されるそうです。
花見と言うと現在は桜を連想するが、奈良時代には中国から伝わった梅だったそうです。しかし平安時代になると梅から桜に変わり、奈良時代末期頃成立の「万葉集」では梅を読んが和歌が桜よりも多かったが、平安時代前期成立の「古今和歌集」では桜を詠んだ和歌の方が梅よりも多くなります。
清凉寺見どころ

【清凉寺・嵯峨釈迦堂 歴史・簡単概要】
清凉寺(せいりょうじ)・嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)は第52代・嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデルとも言われている左大臣・源融(みなもとのとおる)の山荘・棲霞観(せいかかん)があった場所です。清凉寺は源融の一周忌である896年(寛平8年)に子息が弥陀三尊像を造仏して阿弥陀堂に安置し、棲霞寺(せいかじ)と号したのが起源とも、945年(天慶8年)に重明親王妃(しげあきらしんのうひ)が新堂を建立し、等身大の釈迦像を安置したのが起源とも言われています。その後987年(永延元年)に奝然上人(ちょうねんしょうにん)が愛宕山を中国の五台山に模し、「三国伝来の釈迦像」を安置する大清凉寺を建立しようとしたが、途中で亡くなり、弟子・盛算(じょうさん)が遺志を受け継ぎ、棲霞寺内に釈迦堂を建立しました。1279年(弘安2年)に円覚(十万)上人の大念仏(融通念仏)が伝わったとも言われています。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって焼失したが、1481年(文明13年)に再興され、1602年(慶長7年)には関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼の寄進によって釈迦堂(本堂)が再建されました。しかしその後も嵯峨の大火や大地震に見舞われ、1701年(元禄14年)に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉や生母・桂昌院(けいしょういん)らの発願によって本堂が再建されました。
清凉寺は浄土宗の寺院です。
*参考・・・清凉寺・嵯峨釈迦堂(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ清凉寺・嵯峨釈迦堂(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【清凉寺梅見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
清凉寺・嵯峨釈迦堂(アクセス・見どころ・・・)情報

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