大覚寺梅見ごろ2025(時期:3月上旬~中旬頃)

大覚寺梅見ごろ(見頃)

大覚寺梅見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。大覚寺の梅見ごろは例年3月上旬頃から3月中旬頃です。大覚寺は大沢池北側にある嵯峨の梅林に白梅など約170本の梅の木が植えられ、梅と心経宝塔・大沢池などの光景が美しいと言われています。大覚寺では宸殿(重要文化財)前に左近の梅も植えられています。(詳細下記参照)

【大覚寺梅見ごろ(例年時期)】

大覚寺の梅見ごろは例年3月上旬頃から3月中旬頃です。なお梅の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都梅見ごろ2025(北野天満宮・梅宮大社・・・)

【大覚寺梅 アクセス・マップ】

場所・・・京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
最寄り駅・バス停・・・大覚寺(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大覚寺は28系統(D3乗り場)
*四条烏丸から91系統
路線・時刻表・運賃チェック

*JR嵯峨野線の場合、最寄り駅は嵯峨嵐山駅(徒歩約15分)

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【大覚寺梅見ごろ(例年時期) 概要】

大覚寺はあまり知られていない梅の名所です。大覚寺の梅見ごろは例年3月上旬頃から3月中旬頃です。
大覚寺は大沢池(国の名勝)北側にある嵯峨の梅林に白梅など約170本の梅の木が植えられ、梅と心経宝塔・大沢池などの光景が美しいと言われています。大覚寺では平安時代の古式に則り、宸殿(重要文化財)前に左近の梅も植えられ、左近の梅と宸殿の光景が美しいと言われています。

  • 大沢池は周囲約1キロの日本最古の人工の庭池と言われています。大沢池は814年(弘仁5年)頃に第52代・嵯峨天皇が中国・洞庭湖を模して築造したとも言われています。嵯峨天皇は大沢池で舟遊びを楽しんだり、菊ヶ島の野菊を瓶に挿して生け花を行ったりしました。なお大沢池は奈良の猿沢池・滋賀の石山寺とともに三大名月鑑賞地とされています。
  • 心経宝塔は1967(昭和42年)に嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立されました。心経宝塔には秘鍵・弘法大師の尊像を安置しています。基壇に如意宝珠を納めた真珠の小塔があります。
  • 宸殿は1619年(元和5年)に第108代・後水尾天皇から中宮・東福門院(徳川和子)の女御御殿を賜って建立されました。宸殿は周囲に鴬張りの広縁を巡らし、牡丹の間・柳松の間・紅梅の間・鶴の間に分かれています。宸殿の前には右近の橘と左近の梅があります。
  • 左近の梅は794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、紫宸殿の前庭に右近の橘とともに植えられました。その後第62代・村上天皇の時代(946年(天慶9年)~967年(康保4年))に起こった御所の火災による、左近の桜に変わったと言われています。

●大覚寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
大覚寺歴史(嵯峨天皇・空海・正子内親王)
●大覚寺の見どころ(正寝殿・大沢池など)を紹介しています。
大覚寺見どころ(正寝殿・大沢池など)

●京都で人気の梅名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
京都梅名所・見ごろ

【大覚寺 歴史・簡単概要】

大覚寺(だいかくじ)は平安時代初期に第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)が造営した離宮・嵯峨院があった場所です。大覚寺は876年(貞観18年)に嵯峨天皇の皇女で、第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)の皇后・正子内親王(まさこないしんのう)が淳和天皇の第2皇子・恒寂入道親王(ごうじゃくにゅうどうしんのう)を開山として離宮を寺院に改めて門跡寺院になり、第56代・清和天皇(せいわてんのう)から寺号・大覚寺を賜ったと言われています。鎌倉時代に後宇多法皇(第91代・後宇多天皇(ごうだてんのう))が伽藍を建立して再興し、中興の祖・大覚寺殿とも称され、また院政を行ったことから嵯峨御所(さがごしょ)とも言われるようになりました。後宇多法皇と父・亀山法皇(第90代・亀山天皇(かめやまてんのう))の皇統は後宇多法皇が大覚寺に住したことから大覚寺統(南朝)と称されるようになり、1392年(元中9年・明徳3年)の南北朝媾和では正寝殿で南朝の第99代・後亀山天皇(ごかめやまてんのう)から北朝の第100代・後小松天皇(ごこまつてんのう)に三種の神器が引き継がれました。
*参考・・・京都・大覚寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【大覚寺梅 備考】
大覚寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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