青谷の梅の花と歴史をめぐるウォーク2025/3/(日程時間・・・)
青谷の梅の花と歴史をめぐるウォーク
青谷の梅の花と歴史をめぐるウォーク(日程・時間・・・)を紹介しています。例年梅の見ごろである3月に行われています。青谷の梅の花と歴史をめぐるウォークでは梅の香りを愛でながら観光ボランティアの案内により、青谷梅林や周辺の寺社を巡ります。市辺天満神社・西生寺・城山梅林(青谷梅林)・龍福寺・中天満神社・城陽酒造を巡ります。(要確認)(詳細下記参照)
【青谷の梅の花と歴史をめぐるウォーク2024 日程時間(要確認)】
青谷の梅の花と歴史をめぐるウォーク2024は2024年(令和6年)3月10日(日曜日)に行われます。9:45にJR奈良線山城青谷駅に集合し、14:00頃に青谷駅で解散します。(現在確認中・要注意)
●京都には多くの梅名所があり、その梅見ごろを下記リンクから確認できます。
京都梅見ごろ2025
【青谷の梅の花と歴史をめぐるウォーク アクセス・マップ】
場所・・・京都府城陽市中中山
最寄り駅・バス停・・・山城青谷駅(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR奈良線
*近鉄京都線・新田辺駅から京都京阪バスの場合、多賀口(徒歩約25分)
【青谷の梅の花と歴史をめぐるウォーク 歴史・簡単概要】
青谷の梅の花と歴史をめぐるウォーク(あおだにのうめのはなとれきしをめぐるウォーク)は例年梅の見ごろである3月に行われています。なお青谷梅林では例年梅が見ごろを迎える時期に青谷梅林梅まつりも行われています。
青谷梅林梅見ごろ
青谷の梅の花と歴史をめぐるウォークでは梅の香りを愛でながら観光ボランティアの案内により、青谷梅林や周辺の寺社を巡ります。長さ約5キロのコースはJR山城青谷駅に集合して出発し、市辺天満神社・西生寺・城山梅林(青谷梅林)・龍福寺・中天満神社・城陽酒造を巡り、JR山城青谷駅で解散します。(要確認)
市辺天満神社は起源が明確ではありません。1606年(慶長11年)に本殿が建立されたと言われています。市辺天満神社は菅原道真を祭神として祀る旧市辺村の産土神です。
西生寺は寺伝によると1544年(天文13年)頃に知恩院近くの一心院で専修念仏に努め、捨世派の祖になった称念上人が村人の帰依を受けて創建したと言われています。西生寺は浄土宗の寺院です。
龍福寺は1607年(慶長12年)に曇誉が創建したと言われています。その後1674年(延宝2年)に現在の場所に移ったと言われています。龍福寺は浄土宗の寺院です。
中天満神社は起源が明確ではありません。社殿に1606年(慶長11年)の棟札があり、それ以前から祀られていたと言われています。中天満神社は菅原道真を祭神として祀っています。
青谷梅林梅まつりは1984年(昭和59年)から行われています。梅まつりは「春は城陽から」をキャッチフレーズ、プラムちゃんを青谷梅林・梅まつりキャラクターとして、例年梅が見頃を迎える2月下旬頃から3月下旬頃に行われています。梅まつりでは梅干しなどの梅製品・城陽銘菓などの特産品などが販売されたり、うどん・おでん・梅おにぎりなどの軽食を味わったりすることができます。(要確認)梅まつりでは踊りやコンサートなどのイベントも行われます。(要確認)
青谷梅林梅まつり
【青谷梅林 歴史・簡単概要】
青谷梅林(あおだにばいりん)は鎌倉時代に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の皇子・宗良親王(むねよししんのう)が和歌「風かよふ 綴喜の里の 梅が香を 空にへだつる 中垣ぞなき」と詠んでいることから鎌倉時代末期には既に梅林があったとも言われています。その後江戸時代に淀藩が梅の栽培を奨励し、1900年(明治33年)には青谷梅林保勝会が設立され、梅林の保護に努力したことから梅の名所となりました。青谷梅林は面積約20ヘクタールに約1万本の梅の木が植えられ、その大きさは京都府内随一とも言われているそうです。ちなみに梅の木は現在約50軒余りの農家が生産梅林として栽培し、生産量は京都府内一です。栽培された梅の実は大粒で肉ばなれがよく、梅干・梅酒・梅菓子などの梅製品に製造されているそうです。梅干用の梅の実は収穫後に塩漬けされ、8月上旬に三日三晩に渡って天日干しされ、城陽の夏の風物詩にもなっているそうです。なお城陽市は梅を1972年(昭和47年)に市の木に制定したそうです。
*参考・・・青谷梅林(アクセス・歴史・・・)
【青谷の梅の花と歴史をめぐるウォーク 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
青谷梅林(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)