福知山城桔梗見ごろ2025(6月~9月頃)

福知山城桔梗

福知山城桔梗見ごろ(見頃)

福知山城桔梗見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。福知山城では初代福知山城城主・明智光秀の家紋で、福知山市の市の花のひとつになっている桔梗が随所に植えられ、紫色の花を咲かせます。桔梗と福知山城などの光景が美しと言われています。隣接するゆらのガーデンにも桔梗が随所に植えています。(詳細下記参照)

【福知山城桔梗見ごろ(例年時期)】
福知山城の桔梗見ごろは例年6月頃から9月頃です。なお桔梗の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都桔梗名所・見ごろ

【福知山城桔梗見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府福知山市字内記5番地
最寄り駅・バス停・・・福知山駅(徒歩約15分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR西日本・福知山線
*京都丹後鉄道・宮福線

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【福知山城桔梗見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
福知山城は桔梗(キキョウ)の名所です。福知山城の桔梗見ごろは例年6月頃から9月頃です。
福知山城では初代福知山城城主・明智光秀の家紋で、福知山市の市の花のひとつになっている桔梗が随所に植えられ、紫色の花を咲かせます。桔梗と福知山城などの光景が美しと言われています。ちなみに福知山城の桔梗は才ノ神の藤・京都府緑化センターのしだれ桜・長尾の芝桜・觀音寺のあじさい・洞玄寺のぼたん・頼光寺のなんじゃもんじゃ・野笹のすいれん・養泉寺の萩・久法寺のむくげとともに福知山花の十景に数えられています。なお東側に隣接するゆらのガーデンにも桔梗が随所に植えています。
明智光秀は1528年(享禄元年)に土岐氏の支流・明智氏の一族として生まれたと言われています。父は明智光綱、母はお牧の方とされています。光秀は美濃の斎藤道三に仕え、その後越前の朝倉義景に仕えたと言われています。義景を頼った室町幕府第15代・足利義昭とともに織田信長に赴き、信長の家臣になりました。光秀は細川幽斎とともに信長と義昭の間を取り持ち、義昭の上洛に尽力しました。1571年(元亀2年)に比叡山焼き討ちで武功を上げ、近江の滋賀郡を与えられ、坂本城を築城して城主になりました。1575年(天正3年)から丹波攻略を開始し、1579年(天正7年)に丹波を平定し、1580年(天正8年)に丹波一国を与えられ、横山城を改修して福知山城城主になりました。1582年(天正10年)6月2日に本能寺の変を起こし、信長を自害させました。しかし1582年(天正10年)6月13日に山崎の戦いで秀吉に敗れ、落ち武者狩りで負傷して小栗栖で自害しました。
明智光秀の正室・明智煕子(あけちひろこ・妻木煕子)は女の命である黒髪を売り、夫・光秀に明智の家紋・桔梗がついた晴れ着の小袖を買ったとされているそうです。
桔梗はキキョウ科の多年草です。絶滅危惧種に指定されています。桔梗は日本・朝鮮半島・中国・東シベリアなどの温帯の日当たりのよい山野の草地などに自生しています。桔梗は高さ50センチ~1メートルで、葉は長卵形で、先が尖って縁に鋸歯(きょし)があります。桔梗は茎頂近くに鐘状(しょうじょう)で、先が星型に5裂した径3~5センチの花を横向きに1~3個咲かせます。花は青紫色から淡紫色だが、白花・桃色花・二重咲など園芸品種もあります。桔梗は女郎花(おみなえし)・尾花(おばな)・撫子(なでしこ)・藤袴(ふじばかま)・葛(くず)・萩(はぎ)とともに秋の七草に数えられているが、花を6月中旬頃の梅雨頃から初秋の9月頃まで咲かせます。なお桔梗は根にサポニンが多く含まれ、古くから生薬として利用され、鎮咳・去痰・排膿などの効能があると言われています。

【福知山城 歴史・簡単概要】
福知山城(ふくちやまじょう)は現在郷土資料館になっています。福知山城は元々室町時代後期に甲斐源氏の一族で、弓馬術礼法小笠原流の祖・小笠原長清(おがさわらながきよ)の末裔で、国人・塩見頼勝(しおみよりかつ)が掻上城(かきあげじょう)を八幡山の脇に築城したが起源です。その後塩見頼勝は姓を横山に改め、城主が子・横山信房(よこやまのぶふさ)になり、城名が横山城(よこやまじょう)に改められました。1579年(天正7年)に明智光秀(あけちみつひで)が織田信長(おだのぶなが)の命によって丹波を平定すると城名が福智山城に改められ、大規模な修築が行われ、城代に女婿の明智秀満(あけちひでみつ)・藤木権兵衛(ふじきごんべい)が置かれました。しかし1582年(天正10年)の本能寺の変後に戦われた山崎の戦い(やまざきのたたかい)で明智光秀が敗北すると織田信長の四男で、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の養嗣子・羽柴秀勝(はしばひでかつ)が城主になりました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)後に有馬豊氏(ありまとようじ)が入城して大改修を行い、現在の姿になりました。1669年(寛文9年)に丹波福知山藩初代藩主・朽木稙昌(くつきたねまさ)が入城し、城名が福知山城に改められました。明治維新後の廃城令によって廃城になり、1887年(明治20年)に二の丸は取り払われ、石垣と銅門番所(あかがねもんばんしょ)だけが残されました。1986年(昭和61年)に瓦1枚運動などにより、3層4階の天守閣(郷土資料館)が再建されました。
*参考・・・福知山城・郷土資料館(アクセス・歴史・・・)

【福知山城桔梗見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
福知山城(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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