狸谷山不動院初不動2025/1/28(日程時間・・・)
狸谷山不動院初不動
狸谷山不動院初不動(日程・時間・・・)を紹介しています。初不動は例年1月28日に行われています。初不動では一山の山伏(修験者(しゅげんじゃ))の出仕しによる大護摩供養により、一切の悪魔・災いを祓う力を持つとされる不動明王に厄難除けなどを祈願します。なお初不動では笹酒を青竹の筒入れて護摩の火で温めたものが接待されます。(詳細下記参照)
【狸谷山不動院初不動2025 日程時間(要確認)】
狸谷山不動院初不動2025は2025年(令和7年)1月28日(火曜日)9:00から行われます。11:00から大護摩供養も行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・狸谷山不動院ホームページ
【狸谷山不動院初不動 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区一乗寺松原町6
最寄り駅・バス停・・・一乗寺下り松町(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは5系統(A1乗り場)
*四条河原町からは5系統
*四条烏丸からは5系統
路線・時刻表・運賃チェック
*叡山電鉄の場合、最寄り駅は一乗寺駅(徒歩約15分)
【狸谷山不動院初不動 歴史・簡単概要】
狸谷山不動院初不動(はつふどう)は1年最初の不動明王の縁日です。初不動では一山の山伏(修験者(しゅげんじゃ))の出仕しによる大護摩供養により、一切の悪魔・災いを祓う力を持つとされる不動明王に厄難除けなどを祈願します。なお初不動では木食上人(もくじきしょうにん)の故事に因み、笹酒を青竹の筒入れて護摩の火で温めたものが接待されます。木食上人は滝の水を青竹の筒に入れ、病人に飲ませたところ病気が平癒したと言われているそうです。ちなみに境内の滝では宮本武蔵が剣の奥義を会得する為に打たれたとも言われています。
護摩はバラモン教の宗教儀礼が起源とされ、主に天台宗・真言宗で行われています。護摩には護摩壇に火を点けて護摩木を焚いて祈願する外護摩と心の中の煩悩などを心の火で焼き払う内護摩などがあるそうです。
不動明王(ふどうみょうおう)は大日如来の化身とも言われています。大日如来が衆生を教化する際、通常の姿では教化できないので、忿怒相(ふんぬそう)をもって現れたとされています。不動明王は背に火炎を背負い、右手に悪を断ち切る剣、左手に救済の索を持ち、全ての悪と煩悩を抑え、全ての生あるものを救うと言われています。不動明王は五大明王(降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王)のひとつです。なお不動明王はサンスクリット語のアカラ(阿遮羅) を漢訳したものです。
大日如来(だいにちにょらい)は真言密教の教主で、宇宙の実相を仏格化した根本仏とされています。大日如来は太陽神が起源とされ、宇宙の根元で、諸仏・諸菩薩の本地とされています。なお大日如来は平安時代前期に空海が密教とともに唐から日本に伝えました。
【狸谷山不動院 歴史・簡単概要】
狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)・狸谷のお不動さんは平安時代初期に第50代・桓武天皇の勅願により、平安京の鬼門(北東)守護として咤怒鬼(たぬき)不動明王を安置したのが起源とも言われています。1249年(建長3年)に本堂内にある高さ・深さともに2丈からなる石窟に咤怒鬼不動明王が移されて安置されたと言われています。その後1604年(慶長9年)に剣豪・宮本武蔵が吉岡一門との決闘を前に滝行を行い、己に克つ不動心を感得したとも言われています。狸谷山不動院は1718年(享保3年)に木食正禅養阿上人(もくじきしょうぜんようあしょうにん)・朋厚房正禅法師が創建しました。朋厚房正禅法師は木食行実践の為に石窟に入山し、その後自ら刻んだ身の丈5尺の石造不動尊像を狸谷山修験道の本尊として安置したと言われています。石造不動尊像は桓武天皇が安置した咤怒鬼不動明王と尊容が同じとも言われています。明治維新後の廃仏毀釈によって荒廃したが、1944年(昭和19年)に修験道大本山一乗寺狸谷山不動院として寺法を制定し、1947年(昭和22年)には寺地が拡張され、本殿も造営されました。
狸谷山不動院は真言宗の単立寺院です。
*参考・・・狸谷山不動院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【狸谷山不動院初不動 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
狸谷山不動院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
京都1月のイベント・行事