嵐山と第90代・亀山天皇(かめやまてんのう)
嵐山と第90代・亀山天皇(かめやまてんのう)
嵐山は古来から山水の美を兼ねた景勝地で、平安時代に紅葉名所として知られました。鎌倉時代後期に亀山上皇が後嵯峨上皇に続いて吉野山から数百株の桜を移植し、亀山上皇は後嵯峨上皇とともに嵐山が京都随一の桜名所の起源になりました。
【嵐山桜見ごろ(例年時期)・2024年開花満開予想】
嵐山の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から京都の桜開花・桜満開・桜見ごろ情報を発信します。
嵐山桜見ごろ
【嵐山 歴史・簡単概要】
嵐山は淀川水系の一級河川・桂川に架かる渡月橋の西、京都府京都市西京区にある標高約382メートルの山です。嵐山は国の史跡・国の名勝に指定されています。また嵐山は「日本さくら名所100選」・「日本の紅葉の名所100選」にも選ばれています。嵐山は平安時代に貴族の別荘地で、古くから歌枕として多くの和歌などに詠まれる景勝地でした。なお嵐山と言う場合、山自体ではなく、桂川の右岸・嵐山と桂川の左岸・嵯峨野を含めたエリアを指し、京都を代表する観光地になっています。
【嵐山と第90代・亀山天皇(かめやまてんのう)】
嵐山は古来から山水の美を兼ねた景勝地で、平安時代に紅葉名所として知られ、皇族・貴族が訪れ、付近に山荘などが営まれました。藤原輔尹は「おもふ事 なくてぞみまし 紅葉葉を 嵐の山の ふもとならずは」、藤原公任(ふじわらのきんとう)は「朝まだき 嵐の山の 寒ければ 紅葉の錦 着ぬ人ぞなき」と詠み、嵐山は古くから歌枕として多くの和歌に詠まれました。鎌倉時代中期に後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう))が離宮・亀山殿(かめやまどの)を造営した際、奈良・吉野山(よしのやま)から数百株の桜を移植したと言われています。その後鎌倉時代後期(1274年(文永11年)~1289年(正応2年))に亀山上皇(第90代・亀山天皇(かめやまてんのう)も吉野山から数百株の桜を嵐山に移植し、吉野山の嵐山に模して京都の嵐山を名付けたと言われています。吉野山の下千本(しもせんぼん)観光駐車場東側にある山は嵐山と言われ、その一帯の桜は嵐山の桜と言われています。嵐山では亀山上皇が満月の晩に舟遊びをしていた際、桂川(大堰川(おおいがわ))に架けられていた法輪寺橋(ほうりんじばし)の上の月を眺め、「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことが渡月橋の名称の由来になっています。亀山上皇は後嵯峨上皇とともに嵐山が「日本さくら名所100選」に選ばれ、京都随一の桜名所の起源になりました。現在、嵐山には山桜・染井吉野・八重桜・枝垂桜など約1,500本の桜の木が分布しています。
吉野山では飛鳥時代に修験道(しゅげんどう)の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)が修行中に蔵王権現(ざおうごんげん)を感得し、衆生を救う為に桜の木に刻み、山上ヶ岳(さんじょうがたけ)と吉野山に祀りました。桜の木は蔵王権現の神木とされ、蔵王権現に祈願する際には桜の苗木を寄進することが風習になり、平安時代頃から桜の木がたくさん植えられるようになりました。現在、吉野山には白山桜(シロヤマザクラ)など約200種・約3万本の桜の木が植えられています。
渡月橋は承和年間(834年~848年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海の高弟・道昌が架けた橋・法輪寺橋が起源と言われています。その後桃山時代頃に嵯峨の土倉業・角倉了以が現在の場所に渡月橋を架けたと言われています。
【第90代・亀山天皇 嵐山】
第90代・亀山天皇は1249年(建長元年)7月9日に第88代・後嵯峨天皇と中宮・西園寺きつ子(大宮院)の間に恒仁として生まれ、後嵯峨天皇の第2皇子でした。父母から寵愛され、亀山天皇系の大覚寺統と兄の第89代・後深草天皇系の持明院統との対立の一因になったと言われています。1258年(正嘉2年)に兄の後深草天皇の皇子を差し置いて10歳で立太子され、翌1259年(正元元年)に兄の後深草天皇から譲位され、第90代・亀山天皇に即位しました。天皇の即位には父母の意向があったとされています。1274年(文永11年)に第2皇子で、皇太子・世仁親王(第91代・後宇多天皇)に譲位して院政を開始しました。院政期間中に元寇と言われる1274年(文永11年)の文永の役・1281年(弘安4年)の弘安の役が起こり、伊勢神宮や熊野三山で敵国降伏の祈願しました。亀山上皇は身をもって国難に殉ぜんとの祈願しました。また鎌倉幕府による弘安の改革に呼応し、徳政を進め、評定制を改革しました。1289年(正応2年)に南禅寺で出家して法皇になりました。亀山天皇は大覚寺統の繁栄に力を注ぎ、大覚寺統と持明院統が交互に皇位継承する両統迭立の端緒になりました。第90代・亀山天皇は禅宗・律宗を手厚く保護し、五山別格とされ臨済宗寺格第一である南禅寺の開基になりました。なお第90代・亀山天皇は1305年(嘉元3年)10月4日に崩御しました。嵐山にある天竜寺内の亀山陵が陵所になっています。
【嵐山と第90代・亀山天皇(かめやまてんのう)】
*京都には多くの桜名所があり、その桜見ごろを下記リンクから確認できます。
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)