日向大神宮の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

日向大神宮

日向大神宮の歴史を時代別年表にまとめ

日向大神宮の歴史を簡単にまとめています。日向大神宮は社伝によると第23代・顕宗天皇の時代(485年~487年)に顕宗天皇の勅願により、筑紫日向の高千穂の峰の神蹟から天照大神の神霊を移したのが起源と言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)

日向大神宮(アクセス・歴史・・・)

【高千穂峰】

●高千穂峰(たかちほのみね)は宮崎県と鹿児島県の県境に位置する標高約1,574メートルの火山です。 霧島連峰の第2峰で、日本二百名山に数えられています。高千穂峰は天照大神(あまてらすおおかみ)の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が葦原中国(あしわらのなかつくに)の統治の為に五伴緒(いつとものお)を従えて高天原(たかまがはら)から降臨(天孫降臨)しとされています。山頂には瓊瓊杵尊が降臨した時に峰に突き立てたとされる青銅製の長さ約140センチの天逆鉾(あまのさかほこ)が立っています。

【日向大神宮の起源・始まり】

●日向大神宮は社伝によると第23代・顕宗天皇(けんぞうてんのう)の時代(485年(顕宗天皇元年)~487年(顕宗天皇3年))に顕宗天皇の勅願により、筑紫日向(つくしのひむか)の高千穂の峰の神蹟から天照大神の神霊を遷したのが起源と言われています。

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【飛鳥時代(592年~710年)の歴史・出来事】

●飛鳥時代に第38代・天智天皇(てんじてんのう)が圭田(神田)を寄進し、神域の山を日御山(ひのみやま)と名付けたと言われています。

【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

●平安時代前期に第56代・清和天皇(せいわてんのう)から勅額「日向宮」を賜りました。
●元慶年間(887年~885年)に清泉・朝日の水が湧いたとも言われています。
●平安時代前期に第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)から延喜の制で官幣社(かんぺいしゃ)に列せられました。なお「宇治郡名勝誌」・「京都府山科町誌」には「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」の小社に列する「山城国宇治郡 日向神社」と記されています。
●平安時代に日向宮・日向神宮・粟田口神明宮・日岡神明宮などとも称しました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】

●鎌倉時代以降に衰微したと言われています。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】

●南北朝時代に南朝方の新田義貞(にったよしさだ)が戦勝を祈願し、良馬と太刀一身を奉納しました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

●室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))により、社殿・古記録が焼失しました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

●江戸時代初期に篤志家で、松坂村の松井藤左衛門が仮宮を造営し、禁中から修理料を賜って社殿が再建されました。
●江戸時代前期に第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)から宸筆の勅額「内宮(ないく)」・「外宮(げく)」を賜りました。
●慶長年間(1596年~1615年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が神領を加増し、社殿を改修しました。
●江戸時代前期に第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)と中宮・東福門院(とうふくもんいん・徳川和子(とくがわまさこ))から修理料・神宝を賜りました。
●1729年(享保14年)の内宮・外宮の修理の際、第114代・中御門天皇(なかみかどてんのう)が神祗官(じんぎかん)・卜部兼敬を奉幣の儀に派遣しました。
●江戸時代中期に第118代・後桃園天皇(ごももぞのてんのう)は度々代拝を派遣し、毎年紋付提灯を賜りました。
●1792年(寛政4年)12月に女院御所から初穂が奉献されました。
●1794年(寛政6年)9月に奉礼門院・女院御所の中宮、同年11月に内侍所から翠簾が寄進され、1809年(文化6年)11月に外宮の遷宮が行われました。
●1810年(文化7年)5月の内宮遷宮に際し、第119代・光格天皇(こうかくてんのう)が神宝を寄進しました。
●江戸時代に仙洞御所(せんとうごしょ)・青蓮院宮(しょうれんいんのみや)・聖護院宮(しょうごいんのみや)・梶井宮(かじいのみや)・桂宮(かつらのみや)が参拝し、初穂を奉献したり、宝物を寄進したりしました。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

●明治時代に近代社格制度で村社に列せられました。
●1915年(大正4年)に内宮が再建され、1921年(大正10年)に外宮が再建されたと言われています。
●1929年(昭和4年)10月に皇室から大礼調度品を賜りました。
●1936年(昭和11年)10月に久邇宮が参拝し、初穂が奉献され、1937年(昭和12年)2月に献木を賜りました。

【日向大神宮ゆかりの天照大神】

天照大神は伊弉諾(伊佐那岐)と伊弉冉(伊佐那美)の第1子として生まれました。また伊弉諾が伊弉冉のいる黄泉の国から生還し、黄泉の穢れから禊を行った際に左の目から生まれたとも言われています。天照大神は月読尊の夜の食国、素戔嗚尊の根の国に対し、高天原を治めました。天照大神は太陽神の性格と巫女の性格を併せ持ち、皇祖神として伊勢神宮内宮に祀られています。神体は八咫鏡とされています。天照大神は皇孫・瓊瓊杵尊に神勅と八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉からなる三種の神器を授け、葦原中国を治めさせ、日本国の初めになりました。

【日向大神宮の歴史 備考】
*参考・・・日向大神宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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