多治神社田原のカッコスリ/10/(日程時間・・・)
多治神社田原のカッコスリ
多治神社田原のカッコスリ(日程・時間・・・)を紹介しています。田原のカッコスリは例年10月15日直前の日曜日に行われています。田原のカッコスリでは羯鼓を持った裃姿の男子が4人の稚児の囲りを笛や締め太鼓とサンヤレの囃子に合わせて、足をすりながら踊ります。なお田原のカッコスリは中世後期に流行した風流囃子物を今に伝えているとも言われています。(詳細下記参照)
【多治神社田原のカッコスリ2019 日程時間(要確認)】
多治神社田原のカッコスリ2019は2019年(令和元年)10月に行われます。
【多治神社田原のカッコスリ アクセス・マップ】
場所・・・京都府南丹市日吉町田原宮後2-2
最寄り駅・バス停・・・田原
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR日吉駅から町営バス上佐々江行き
【多治神社田原のカッコスリ 歴史・簡単概要】
多治神社田原のカッコスリ(たわらのカッコスリ)は秋の祭礼で行われています。田原のカッコスリは室町時代初期の1414年(応永21年)にカッコスリに始まりました。田原のカッコスリは例年10月15日直前の日曜日に行われ、その年の豊作に感謝します。ちなみに田原のカッコスリはかつて10月15日に行われていたが、江戸時代に7月8日に行われ、明治時代に10月8日に行われていたこともあったそうです。なお田原のカッコスリは京都府の無形民俗文化財です。
田原のカッコスリでは先ず神事が行われます。その後拝殿前の広場で羯鼓(かっこ)を持った裃姿の男子が4人の稚児の囲りを笛や締め太鼓とサンヤレの囃子に合わせて、足をすりながら踊ります。田原のカッコスリは若宮社(わかみやしゃ)・御旅所(おたびしょ)でも披露されるそうです。なお田原のカッコスリは中世後期に流行した風流囃子物を今に伝えているとも言われています。
風流囃子物は笛・鼓・太鼓などで囃しながら歌舞・物真似などを行う中世に流行した芸能です。なお風流には寺社で行われているやすらい花(鎮花祭)・お練り(祭礼行列)・念仏踊り(踊念仏)などがあります。
多治神社では例年5月3日に田原の御田(たわらのおんだ)が行われ、籾(もみ)の準備から刈り入れまでを模擬的に演じ、その年の豊作を祈願しています。田原の御田は鎌倉時代後期の1306年(徳治2年)から始まり、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
【多治神社 歴史・簡単概要】
多治神社(たじじんじゃ)は起源が明確ではありません。多治神社は飛鳥時代末期の704年(慶雲元年)に第38代・天智天皇の第7皇子で、田原左大臣(たはらさだいじん)とも言われる志貴皇子(しきのみこ・施基皇子(しきのおうじ))が創建し、多治大明神と称したのが起源とも言われています。平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に「丹波国船井郡 多沼神社(たひちじんじゃ・たぬじんじゃ・たぬまじんじゃ)」と記され、式内社に列したとも言われています。多治神社は田原郷に祀られていることから多治の字があてられたとも言われています。ただ鎌倉時代後期の1302年(乾元元年)の棟札に多沼大明神と記されているそうです。鎌倉時代後期の1306年(徳治2年)に田原の御田(国重要無形民俗文化財)が豊作祈願の奉納神事として始まり、室町時代初期の1414年(応永21年)にカッコスリ(京都府無形民俗文化財)が豊作感謝の奉納神事として始まりました。江戸時代の1670年(寛文10年)に日吉町生畑に分霊を祀った多治神社が創建されました。1775年(宝暦5年)に丹波地方で最大級とも言われる現在の二間社流造・檜皮葺の本殿(京都府登録文化財)が建立されました。1877年(明治10年)に近代社格制度で郷社に列しました。なお多治神社は大山咋神(おおやまくいのかみ)・天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀っています。
*参考・・・多治神社(アクセス・歴史・・・)
【多治神社田原のカッコスリ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
多治神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報