由良神社厄除祭2025/2/(日程時間・・・)

由良神社厄除祭

由良神社厄除祭(日程・時間・・・)を紹介しています。厄除祭は例年2月18日に行われています。厄除祭では参道などの境内に設けられた諸悪退散の厄よけの輪をくぐり、厄除け・家内安全などを祈願します。厄よけの輪は矢を9本のせた直径約3メートルの輪を「8」の字を描くように3回くぐります。厄除祭では甘酒の接待が行われます。(要確認)(詳細下記参照)

【由良神社厄除祭2024 日程時間(要確認)】
由良神社厄除祭2024は2024年(令和6年)2月17日(土曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)

【由良神社 アクセス・マップ】
場所・・・京都府宮津市字由良2348
最寄り駅・バス停・・・丹後由良駅(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)宮津線
路線・時刻表・運賃チェック

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【由良神社厄除祭 歴史・簡単概要】
由良神社厄除祭(やくよけさい)は江戸時代(藩政時代)に丹後田辺藩藩主が領内安泰や城内厄除を祈願する為に直参または代参したのが始まりと言われています。厄除祭は丹後地方最古の神事とも言われています。厄除祭は例年2月に行われています。
厄除祭では参道などの境内に設けられた諸悪退散の厄よけの輪(茅の輪)をくぐり、厄除け・家内安全などを祈願します。厄よけの輪は矢を9本のせた直径約3メートルの輪を「8」の字を描くように3回くぐります。厄除祭では甘酒の接待が行われます。(要確認)なお茅の輪くぐりは6月や12月に行われることが多く、2月に行われるのは珍しいと言わています。
茅の輪は素戔嗚尊(すさのおのみこと)が后を求めて旅に出た際、貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)が快くもてなし、素戔嗚尊の教えに従って茅の輪を腰に付けたところ疫病を逃れることができ、子々孫々まで繁栄したという故事に由来する古来からの風習です。
丹後田辺藩は丹後国にあり、田辺城(舞鶴城)を藩庁としました。丹後田辺藩は1622年(元和8年)に京極高三を藩祖として成立しました。その後京極高直が2代藩主、京極高盛が3代藩主になったが、1668年(寛文8年)に但馬国豊岡藩に転封されました。1668年(寛文8年)に牧野親成が摂津国から入封し、牧野富成が2代藩主、牧野英成が3代藩主、牧野明成が4代藩主、牧野惟成が5代藩主、牧野宣成が6代藩主、牧野以成が7代藩主、牧野節成が8代藩主、牧野誠成が9代藩主、牧野弼成が10代藩主になりました。

【由良神社 歴史・簡単概要】
由良神社(ゆらじんじゃ)は京都府宮津市字由良にあります。由良神社は起源が明確ではありません。由良神社は出雲国八束郡八雲村に祀られている出雲国一の宮・熊野大社(くまのたいしゃ)から素戔嗚尊(すさのおのみこと)を勧請して創建されたとも言われています。由良神社はかつて加佐郡由良村の南側にある霊峰(神体山)・由良ヶ岳の山麓に祀られていたとも言われています。江戸時代に丹後田辺藩の歴代藩主から崇敬されました。1711年(正徳元年)に上宮・中宮・下宮の3社に分かれていた社殿が一社として建立されました。1731年(享保16年)の「丹後国加佐郡寺社町在舊記」に熊野三所権現社(くまのさんしょごんげんしゃ)と記され、かつて熊野十二社大権現などと称されていました。1888年(明治21年)に花御所八幡宮の祭神を勧請・合祀し、社号を由良神社に改めました。1936年(昭和11年)に社殿が落雷によって焼失しました。なお由良神社は伊弉諾命(いざなぎのみこと)・櫛御気命(くしみけぬのみこと)・誉田別命神(ほむたわけのみこと)を祭神として祀っています。
*参考・・・由良神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)

【由良神社厄除祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
由良神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る