弘源寺春の特別公開2025年3月15日~5月18日(日程時間・・・)

弘源寺春の特別公開(日程・アクセス・概要)
弘源寺春の特別公開(日程時間など)を紹介しています。春の特別公開は例年春に行われています。弘源寺は通常非公開で、春と秋に特別公開(特別拝観)が行われています。春の特別公開では枯山水庭園「虎嘯の庭(こしょうのにわ)」・毘沙門堂の本尊である毘沙門天立像(重要文化財)・日本画などが公開されます。(要確認)(詳細下記参照)
【弘源寺春の特別公開2025 日程時間(要確認)】
弘源寺春の特別公開2025は2025年(令和7年)3月15日(土曜日)~5月18日(日曜日)9:00~17:00に行われます。(受付16:45終了)(現在確認中・要注意)
*参考・・・弘源寺ホームページ
【弘源寺春の特別公開 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町65
最寄り駅・バス停・・・嵐山天龍寺前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から弘源寺は28系統(D3乗り場)
*四条河原町からは11系統
*四条烏丸からは11系統
*河原町丸太町からは93系統
路線・時刻表・運賃チェック
*JR嵯峨野線の場合、最寄り駅は嵯峨嵐山駅(徒歩約10分)
*嵐電(京福電鉄)嵐山線の場合、最寄り駅は嵐山駅(徒歩約5分)
【弘源寺春の特別公開 歴史・簡単概要】
弘源寺春の特別公開(はるのとくべつこうかい)は例年春に行われています。弘源寺は通常非公開で、春と秋に特別公開(特別拝観)が行われています。
春の特別公開では枯山水庭園「虎嘯の庭(こしょうのにわ)」・毘沙門堂の本尊である毘沙門天(びしゃもんてん)立像(重要文化財)・日本画などが公開されます。(要確認)また竹内栖鳳(たけうちせいほう)とその一門(上村松園(うえむらしょうえん)・西山翠嶂(にしやますいしょう)・徳岡神泉(とくおかしんせん))など文化勲章受章画家の日本画などが公開される予定です。(要確認)ちなみに弘源寺の先代住職・田原周仁師は竹内栖鳳の画塾・竹杖会の方々と親交があり、栖鳳の息子・竹内四朗が弘源寺で病気療養し、栖鳳の弟子が部屋に画を書き、それらが襖絵・扇面として残されたそうです。
枯山水庭園「虎嘯の庭」は桜の名所・紅葉の名所である嵐山を借景にし、春の桜・秋の紅葉と調和した光景を眺めることができます。枯山水庭園「虎嘯の庭」は臨済宗の公案集で、中国の仏教書「碧巌録(へきがんろく)九十九則」の「龍吟雲起、虎嘯風生(龍吟じて雲起こり、虎嘯きて風生ず)」から名付けられました。「龍吟」は枯れ枝の間を抜ける風の音を表し、「虎嘯」は大地より涌出る朗々たる響きを表すそうです。なお枯山水庭園「虎嘯の庭」はかつて天龍寺の塔頭・妙智院(みょうちいん)にあったとも言われています。
毘沙門天立像は天井に日本画家・藤原孚石(ふじわらうせき)筆による四季草花48面の絵画が描かれた毘沙門堂に安置されています。毘沙門天立像はインドの仏師・毘首羯磨(びしゅかつま)作で、インド・中国を経由し、比叡山無動寺(むどうじ)・般舟院(はんじゅういん)・嘉祥寺(かしょうじ)を経て、1429年(永享元年)に弘源寺に伝わったとも言われています。毘沙門天立像は左手で宝塔を捧げ、右手で戟(げき)を執っています。
【弘源寺 歴史・簡単概要】
弘源寺は1429年(永享元年)に室町幕府管領で、細川家9代当主・細川持之が天龍寺開山である夢窓国師・夢窓疎石の三世の法孫・玉岫禅師を開山として小倉山山麓に創建しました。弘源寺の寺号は細川持之の院号「弘源寺春岳常喜」に由来しています。当初、北は二尊院、南は亀山に至る広大な寺領を有していました。室町時代以降に度々焼失し、衰微したと言われています。寛永年間(1624年~1645年)に本堂が建立されました。本堂は中央に本尊・観世音菩薩、右側に弘源寺開山・玉岫禅師木像、左側に弘源寺開基・細川持之の位牌を祀っています。1704年(宝永元年)に俳諧師・松尾芭蕉の弟子・向井去来が亡くなり、向井去来の墓が小倉山墓地にあります。また小倉山墓地の東側には西行法師ゆかりの西行井戸もあります。1864年(元治元年)の禁門の変の際、長州藩は天龍寺に陣を構え、長州藩士が弘源寺や天龍寺などに逗留しました。本堂の柱には長州藩士による試し切りなどの傷跡があちこちに残されています。1882年(明治15年)に末庵・維北軒と合寺し、現在の場所に移ったと言われています。
*参考・・・弘源寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【弘源寺春の特別公開 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
弘源寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報