寂光院の桜見ごろ2025平年並(3月下旬~4月上旬頃)

寂光院の桜見ごろ・アクセス・概要
寂光院の桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。寂光院の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。寂光院派では北側背後の山を借景とした四方正面の池・汀の池近くにある汀の桜や染井吉野・山桜・枝垂桜・八重桜などが植えられ、桜と汀の池・こけら葺きの本堂などの光景が美しいと言われています。(詳細下記参照)
【寂光院の桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
寂光院の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年3月6日、ウェザーマップは桜の開花・満開が平年並で、京都で3月26日に開花、4月3日に満開になると予想しました。
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【寂光院桜 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区大原草生町676
最寄り駅・バス停・・・大原(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から寂光院は17系統(C3乗り場)、18系統(C3乗り場)
*四条河原町・三条京阪からは17系統
*四条烏丸からは17系統
京都バス・アクセスダイヤ
【寂光院の桜見ごろ(例年時期) 概要】
寂光院はあまり知られていない桜の名所です。寂光院の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。
寂光院では北側背後の山を借景とした四方正面の池・汀の池(みぎわのいけ)近くにある汀の桜(ミギワノサクラ)や染井吉野(ソメイヨシノ)・山桜(ヤマザクラ)・枝垂桜(シダレザクラ)・八重桜(ヤエザクラ)などが植えられ、桜と汀の池・こけら葺きの本堂などの光景が美しいと言われています。
- 四方正面の池は本堂の東側にあり、池の四方を回遊出来るように小径が整備されています。四方正面の池は本堂・書院などどの四方から見ても正面になるように植栽が施され、背後の山から水を引って三段の小さな滝が設けられています。
- 汀の池の名称は後白河法皇(第77代・後白河天皇)が詠んだとされる和歌「池水に 汀の桜 散り敷きて 波の花こそ 盛なりけれ」に由来しているとも言われています。和歌は「平家物語」の大原御幸(おおはらごこう)によると1186年(文治2年)4月下旬に後白河法皇がお忍びで、平清盛の娘で、第80代・高倉天皇の中宮、そして第81代・安徳天皇の生母である建礼門院徳子を訪ねた際に詠んだと言われています。ちなみに建礼門院は「思ひきや 深山の奥に 住まひして 雲井の月を よそに見んとは」と詠みました。なお汀の桜の古株が若木の根元に眠っているとも言われています。
- 本堂は慶長年間(1596年~1615年)に豊臣秀頼の命によって片桐且元が再建したが、2000年(平成12年)に放火で焼失した、2005年(平成17年)に再建されました。
●京都で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
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【寂光院 歴史・簡単概要】
寂光院は寺伝によると594年(推古天皇2年)に聖徳太子が父で、第31代・用明天皇の菩提を弔う為に創建したのが起源とも言われています。寂光院のかつての本尊・六万体地蔵尊は聖徳太子作で、初代住職は聖徳太子の乳母で、日本仏教最初の三比丘尼の一人である玉照姫だったとも言われています。1165年(永万元年)に第75代・崇徳天皇の寵愛を受けた女官で、建礼門院徳子に仕えた阿波内侍が入寺し、1185年(文治元年)には平清盛の娘で、第80代・高倉天皇の中宮、そして第81代・安徳天皇の生母である建礼門院徳子(真如覚比丘尼)が入寺し、壇ノ浦の戦いで滅亡した平家一門と安徳天皇の菩提を弔いながら侍女とともに終生を過ごしました。1603年(慶長8年)に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼が片桐且元を工事奉行として本堂の外陣を修理しました。なお本堂は2000年(平成12年)の放火によって焼失し、2005年(平成17年)に現在の本堂が再建されました。
*参考・・・寂光院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【寂光院桜 備考】
寂光院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
*京都の桜名所では桜の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都桜ライトアップ2025(清水寺・円山公園・東寺・・・)