水火天満宮神幸祭2024年10月6日(日程時間・・・)
水火天満宮神幸祭
水火天満宮神幸祭(日程・時間・・・)を紹介しています。神幸祭は例年10月の第1日曜日に行われています。神幸祭では和太鼓・神輿などが宝鏡寺(ほうきょうじ)・今日庵(こんにちあん・裏千家)・不審庵(ふしんあん・表千家)・興聖寺(こうしょうじ)・玄武神社(げんぶじんじゃ)などがある氏子地区を巡行します。なお興聖寺では法要が行われることがあります。(詳細下記参照)
【水火天満宮神幸祭2024 日程時間(要確認)】
水火天満宮神幸祭2024は2024年(令和6年)10月6日(日曜日)14:00から行われます。なお前日の土曜日には宵宮祭が行われます。(現在確認中・要注意)
【水火天満宮神幸祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区堀川通上御霊前上ル扇町722-10
最寄り駅・バス停・・・天神公園前(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から水火天満宮は9系統(B1乗り場)
*四条河原町からは12系統
*四条烏丸からは12系統
路線・時刻表・運賃チェック
【水火天満宮神幸祭 歴史・簡単概要】
水火天満宮神幸祭(しんこうさい)では神輿などが氏子地区を巡行します。なお神幸祭の前日には宵宮祭(よいみやさい)が行われます。
宵宮祭では先ず雅楽の調に合わせて、神事が行われます。その後和太鼓が奉納されます。
神幸祭では先ず拝殿に置かれた神輿の前で、祝詞奏上などの神事が行われます。その後和太鼓・神輿などが宝鏡寺(ほうきょうじ)・今日庵(こんにちあん・裏千家)・不審庵(ふしんあん・表千家)・興聖寺(こうしょうじ)・玄武神社(げんぶじんじゃ)などがある氏子地区を巡行します。巡行中には要所要所で神輿が担がれたり、差し上げられて激しく揺らされたりします。興聖寺は普段非公開だが、法要が行われることがあります。
興聖寺は文禄年間に禅僧・虚応円耳(こおうえんに)が小庵・大昭庵を結んだ場所でした。1603年(慶長8年)茶人・古田織部(古田重然)が後陽成天皇の勅により、虚応を開山として創建しました。その為興聖寺は織部寺(おりべでら)とも言われています。
【水火天満宮 歴史・簡単概要】
水火天満宮(すいかてんまんぐう)・水火の天神さん・水火天神社(すいかてんじんしゃ)は923年(延長元年)に天台宗13世座主・法性坊尊意僧正(そんいそうじょう)が第60代・醍醐天皇の勅願により、都の水害・火災を鎮める為に菅原道真(すがわらのみちざね)の神霊を勧請して上天神町(西陣下り松)に造営したのが起源と言われています。醍醐天皇からは神号・水火の社天満自在天神宮を賜りました。ちなみに尊意僧正は道真の師で、西陣下り松には尊意僧正の別邸があり、二人は会見していたそうです。1472年(文明4年)の雨乞大賽の当日、第104代・後土御門天皇が行幸し、天神名号御震筆を賜りました。その後1788年(天明8年)の天明の大火によって焼失し、1952年(昭和27年)の堀川通の拡張に伴って、現在の場所に移りました。なお菅原道真は899年(昌泰2年)に右大臣になるが、901年(延喜元年)に左大臣・藤原時平の讒言(告げ口)によって太宰府に左遷され、903年(延喜3年)に大宰府で亡くなりました。その後都では悪疫が続き、道真の怨霊の仕業と恐れられ、道真の死後20年目に朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈りました。
*参考・・・水火天満宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【水火天満宮神幸祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
水火天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報