安国寺足利尊氏公忌法要2025年4月29日(子安地蔵の供養)
安国寺足利尊氏公忌法要(日程・アクセス・概要)
安国寺足利尊氏公忌法要(日程時間など)を紹介しています。足利尊氏公忌法要は例年4月末に行われています。足利尊氏公忌法要では室町幕府初代将軍・足利尊氏を偲んで法要が行われます。足利尊氏は母・上杉清子が子安地蔵に祈願して足利尊氏を安産したことから子安地蔵(重要文化財)の供養も行われます。(詳細下記参照)
【安国寺足利尊氏公忌法要2025 日程時間(要確認)】
安国寺足利尊氏公忌法要2025は2025年(令和7年)4月29日(火曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
【安国寺足利尊氏公忌法要 アクセス・マップ】
場所・・・京都府綾部市安国寺町寺ノ段1
最寄り駅・バス停・・・安国寺前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR山陰線・綾部駅からあやバス(黒谷線)
*JR舞鶴線・梅迫駅(徒歩約15分)
【安国寺足利尊氏公忌法要 歴史・簡単概要】
安国寺足利尊氏公忌法要(あしかがたかうじこうきほうよう)は例年4月末に行われています。
足利尊氏公忌法要では室町幕府初代将軍・足利尊氏を偲んで法要が行われます。足利尊氏は母・上杉清子が子安地蔵(こやすじぞう)に祈願して足利尊氏を安産したことから子安地蔵(重要文化財)の供養も行われます。また足利尊氏の遺志に基づいて600年以上も続けられてきた施餓鬼(せがき)も行われます。
足利尊氏は1305年(嘉元3年)に鎌倉幕府の御家人で、足利宗家7代当主・足利貞氏と上杉頼重の娘で、側室・上杉清子の次男として生まれました。鎌倉幕府第14代執権で、北条氏得宗家当主・北条高時から偏諱を受け、高氏と名乗りました。また執権・北条(赤橋)守時の妹・赤橋登子を妻としました。1333年(元弘3年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇が鳥取・伯耆船上山で挙兵すると鎌倉幕府軍を率いて上洛したが、丹波国(京都府亀岡市)・篠村八幡宮で鎌倉幕府への反乱を宣言し、六波羅探題を滅ぼし、後醍醐天皇から偏諱を受け、尊氏と改めました。鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇が建武の新政を開始すると第一の功臣として参議・武蔵守に任じられたが、次第に後醍醐天皇との対立が激しくなり、一時九州に都落ちしたものの上洛して京都を制圧し、北朝第2代・光明天皇を擁立して征夷大将軍に補任され、室町幕府を開きました。ただ後醍醐天皇は奈良・吉野に脱出し南朝を創始し、南北朝時代が始まりました。1336年(延元元年・建武3年)に室町幕府の施政方針を示した建武式目を発布し、弟・足利直義と二頭政治を布いたが、観応の擾乱で足利直義が急死しました。1339年(延元4年・暦応2年)に後醍醐天皇が崩御するとその菩提を弔う為に天龍寺を創建しました。なお足利尊氏は1358年(正平13年・延文3年)6月15日(旧暦の4月30日)に亡くなりました。
【安国寺 歴史・簡単概要】
安国寺(あんこくじ)は起源が明確ではありません。安国寺は平安時代中期の993年(正暦4年)に光福寺(こうふくじ)として創建されたとも言われたいます。また安国寺は14世紀半ば(南北朝時代頃)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が創建したとも言われています。ちなみに安国寺は足利尊氏の出生地とも言われ、境内には足利尊氏の産湯井戸や足利尊氏の母・上杉清子(うえすぎきよこ)の墓、そして足利尊氏夫妻の墓が残されています。足利尊氏と弟・足利直義(あしかがただよし)が臨済宗(りんざいしゅう)の禅僧である夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)の勧めにより、南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)などの菩提を弔う為、全国に安国寺利生塔(あんこくじりしょうとう)を建立した際に安国寺利生塔となり、名称を景徳山安国寺に改めました。なお安国寺は本尊・釈迦三尊(しゃかさんぞん)坐像を安置しています。
安国寺は臨済宗東福寺派の寺院です。
*参考・・・安国寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【安国寺足利尊氏公忌法要 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
安国寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報