狸谷山不動院秋の特別洞窟内陣参拝2019/11/2~12/8
狸谷山不動院秋の特別洞窟内陣参拝
狸谷山不動院秋の特別洞窟内陣参拝(日程・時間・・・)を紹介しています。秋の特別洞窟内陣参拝は毎年秋に行われています。秋の特別洞窟内陣参拝では300年前と変わらぬ不動明王を間近で参拝することができます。1718年(享保3年)に木食正禅養阿上人が二丈四方の洞窟を発見し、現世利益の為に洞窟に狸谷不動明王を安置しました。(詳細下記参照)
【狸谷山不動院秋の特別洞窟内陣参拝2019 日程時間(要確認)】
狸谷山不動院秋の特別洞窟内陣参拝2019は2019年(令和元年)11月2日(土曜日)~12月8日(日曜日)9:00~16:00に行われます。
【狸谷山不動院秋の特別洞窟内陣参拝 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区一乗寺松原町6
最寄り駅・バス停・・・一乗寺下り松町(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは5系統(A1乗り場)
*四条河原町からは5系統
*四条烏丸からは5系統
路線・時刻表・運賃チェック
*叡山電鉄の場合、最寄り駅は一乗寺駅(徒歩約15分)
【狸谷山不動院秋の特別洞窟内陣参拝 歴史・簡単概要】
狸谷山不動院秋の特別洞窟内陣参拝(あきのとくべつどうくつないじんさんぱい)は毎年秋に行われています。
秋の特別洞窟内陣参拝では300年前と変わらぬ不動明王を間近で参拝することができます。江戸時代中期の1718年(享保3年)に木食正禅養阿上人(もくじきしょうぜんようあしょうにん・朋厚房正禅法師)が三つの峰に囲まれた狸谷霊山の深い谷に二丈四方の洞窟を発見し、木食行実践の為に石窟(本堂内陣)に入山します。その後木食正禅養阿上人は現世利益の為に洞窟に狸谷不動明王を安置しました。
木食正禅養阿上人は1687年(貞享4年)に生まれ、真言宗泉涌寺派総本山・泉涌寺(せんにゅうじ)の別院・雲龍院(うんりゅういん)の慧雄に師事して出家し、若くして禅・律・真言・天台の四宗の要義を学び、1711年(正徳元年)に高野山に上って木食恵昌から十穀を絶つ木食行を学びました。その後諸国を行脚し、京都に戻って狸谷不動院の創建や安祥院(あんしょういん)の再興をしたり、橋・道路の土木工事を行ったりしました。
不動明王(ふどうみょうおう)は真言密教の教主・大日如来(だいにちにょらい)の化身とも言われています。大日如来が衆生を教化する際、通常の姿では教化できないので、忿怒相(ふんぬそう)をもって現れたとされています。不動明王は背に火炎を背負い、右手に悪を断ち切る剣、左手に救済の索を持ち、全ての悪と煩悩を抑え、全ての生あるものを救うと言われています。不動明王は五大明王(降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう))のひとつです。なお不動明王はサンスクリット語のアカラ(阿遮羅) を漢訳したものです。
【狸谷山不動院 歴史・簡単概要】
狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)・狸谷のお不動さんは平安時代初期に第50代・桓武天皇の勅願により、平安京の鬼門(北東)守護として咤怒鬼(たぬき)不動明王を安置したのが起源とも言われています。1249年(建長3年)に本堂内にある高さ・深さともに2丈からなる石窟に咤怒鬼不動明王が移されて安置されたと言われています。その後1604年(慶長9年)に剣豪・宮本武蔵が吉岡一門との決闘を前に滝行を行い、己に克つ不動心を感得したとも言われています。狸谷山不動院は1718年(享保3年)に木食正禅養阿上人(もくじきしょうぜんようあしょうにん)・朋厚房正禅法師が創建しました。朋厚房正禅法師は木食行実践の為に石窟に入山し、その後自ら刻んだ身の丈5尺の石造不動尊像を狸谷山修験道の本尊として安置したと言われています。石造不動尊像は桓武天皇が安置した咤怒鬼不動明王と尊容が同じとも言われています。明治維新後の廃仏毀釈によって荒廃したが、1944年(昭和19年)に修験道大本山一乗寺狸谷山不動院として寺法を制定し、1947年(昭和22年)には寺地が拡張され、本殿も造営されました。
狸谷山不動院は真言宗の単立寺院です。
*参考・・・狸谷山不動院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【狸谷山不動院秋の特別洞窟内陣参拝 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
狸谷山不動院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報