詩仙堂丈山翁遺宝展2025年5月25日~27日(石川丈山)
詩仙堂丈山翁遺宝展(日程・アクセス・概要)
詩仙堂丈山翁遺宝展(日程時間など)を紹介しています。詩仙堂丈山翁遺宝展は例年5月25日から数日間行われています。丈山翁遺宝展では絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)が描き、石川丈山(いしかわじょうざん)が書を添えた三十六詩仙像や扁額、硯など石川丈山遺愛の品々が一般公開されています。丈山翁遺宝展では唐様庭園を散策することもできます。(詳細下記参照)
【詩仙堂丈山翁遺宝展2025 日程時間(要確認)】
詩仙堂丈山翁遺宝展2025は2025年(令和7年)5月25日(日曜日)~27日(火曜日)10:00~16:00に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・詩仙堂ホームページ
【詩仙堂丈山翁遺宝展 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区一乗寺門口町27
最寄り駅・バス停・・・一乗寺下り松町(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から詩仙堂は5系統(A1乗り場)
*四条河原町からは5系統
*四条烏丸からは5系統
路線・時刻表・運賃チェック
*叡山電鉄の場合、最寄り駅は一乗寺駅(徒歩約10分)
【詩仙堂丈山翁遺宝展 歴史・簡単概要】
詩仙堂丈山翁遺宝展(じょうざんおういほうてん)は例年5月23日に行われている丈山忌(じょうざんき)後の5月25日から数日間行われています。
丈山翁遺宝展では絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)が描き、石川丈山(いしかわじょうざん)が書を添えた三十六詩仙像や扁額、そして硯など石川丈山遺愛の品々が一般公開されています。丈山翁遺宝展では唐様庭園を散策することもできます。(要確認)
石川丈山は1583年(天正11年)に代々松平家(徳川家)に仕える譜代武士の家に生まれ、大叔父のもとで武芸を学び、1598年(慶長3年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康の近侍になったが、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣(大坂の陣)で抜駆けをし、軍律違反で浪人となり、臨済宗妙心寺派大本山である京都・妙心寺に隠棲したそうです。その後友人である儒学者・林羅山の勧めで藤原惺窩に師事して儒学を学び、母を養う為に紀州の浅野家に仕官し、母の死後に強引に浅野家が転封した広島から京都に出て、1636年(寛永13年)に相国寺近くに睡竹堂を建てました。石川丈山は清貧を旨として学問に没頭し、1672年(寛文12年)に90歳で死去しました。
三十六詩仙像は1641年(寛永18年)の丈山59歳の時に選定したと言われています。三十六詩仙は陳与儀・黄庭堅・欧陽修・梅堯臣・林逋・寒山・杜牧・李賀・劉禹錫・韓愈・韋応物・儲光義・高適・王維・李白・杜審言・謝霊運・蘇武・陶潜・鮑昭・陳子昴・杜甫・孟浩然・岑参・王昌齢・劉長卿・柳宗元・白居易・盧同・李商隠・霊徹・邵雍・蘇舜欽・蘇軾・陳師道・曽幾です。
唐様庭園は1641年(寛永18年)頃に石川丈山が作庭し、その後修理されたとも言われています。唐様庭園は広さ約330坪で、樹齢400年以上とも言われる山茶花の大木などが植えられ、紅葉の名所だけでなく、サツキの名所にもなっています。なお唐様庭園には丈山好みの織部灯籠・丈山考案とも言われる鹿(しし)おどし(僧都・添水)も置かれています。
【詩仙堂 歴史・簡単概要】
詩仙堂は1641年(寛永18年)に徳川将軍家の家臣だった石川丈山が隠居の為に造営した山荘が起源です。詩仙堂の名称は絵師・狩野探幽が中国の漢・晋・唐・宋時代の詩家36人の肖像を描き、石川丈山自らが詩を書いた肖像を四方の壁に掲げた「詩仙の間」に由来しています。中国の詩家36人は日本の三十六歌仙に倣い儒学者・林羅山の意見をもとに選ばれました。ちなみに詩仙とは正しくは「凹凸か(かは穴編に果)」であり、でこぼこした土地に建てた住居という意味です。石川丈山は作庭の名手で、自ら庭園「百花塢」を設計しました。1672年(寛文12年)の石川丈山没後に一時荒廃したと言われています。1691年(元禄4年)に俳諧師・松尾芭蕉が弟子・向井去来らと訪れた言われています。1821年(文政4年)の石川丈山150年御遠忌の際に建物が修復され、庭園が改修されたと言われています。
*参考・・・詩仙堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【詩仙堂丈山翁遺宝展 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
詩仙堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報