錦天満宮春季大祭(日程・時間・・・)

錦天満宮春季大祭

錦天満宮春季大祭

錦天満宮春季大祭(日程・時間・・・)を紹介しています。春季大祭は例年5月25日に行われています。春季大祭では商運隆盛・家内安穏・学問進学・災難除けなどを祈願します。なお春季大祭では平安雅楽会による舞楽・蘭陵王(らんりょうおう)と納曽利(なそり)も奉納されます。なおイベントが行われることもあります。(要確認)(詳細下記参照)

【錦天満宮春季大祭2018 日程時間(要確認)】
錦天満宮春季大祭2018は2018年(平成30年)5月25日(金曜日)14:00から行われます。

【錦天満宮春季大祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市中京区新京極通四条上ル中之町537
最寄り駅・バス停・・・四条河原町(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から錦天満宮は4系統(A2乗り場)、5系統(A1乗り場)、17系統(A2乗り場)、205系統(A2乗り場)
*四条烏丸からは3系統、203系統、207系統
*河原町丸太町からは4系統、10系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は祇園四条駅(徒歩約7分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約3分)

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【錦天満宮春季大祭 歴史・簡単概要】
錦天満宮春季大祭(しゅんきたいさい)では商運隆盛・家内安穏・学問進学・災難除けなどを祈願します。
春季大祭では先ず祝詞奏上などの神事が行われ、その後平安雅楽会による舞楽・蘭陵王(らんりょうおう)と納曽利(なそり)が奉納されます。また願いが書き込まれた護摩木も焚き上げられます。なお春季大祭ではイベントが行われることもあります。(要確認)
舞楽は雅楽の一種です。舞楽は唐楽(とうがく)・高麗楽(こまがく)を伴奏とする舞踊です。なお唐楽を伴奏とする舞楽は左舞(さまい)・高麗楽を伴奏とする舞楽は右舞(うまい)と言われます。
蘭陵王(陵王)は高長恭(こうちょうきょう)のことです。高長恭は僅かな軍勢で大軍を破る名将だったが、美しい声と美しい容貌から「音容兼美」と言われました。そこで自分の軍勢が見惚れ、敵軍に侮られないように獰猛な仮面を被って戦いに臨み、大勝したそうです。なお蘭陵王は左舞で、竜頭を模した仮面を被って演じられます。
納曽利(双龍舞・そうりゅうまい)は2匹の龍が戯れて遊ぶ姿を舞にしたものです。一人で舞う場合には落蹲(らくそん)と言われるそうです。なお納曾利は蘭陵王と番舞(つがいまい)の関係にあります。

【錦天満宮 歴史・簡単概要】
錦天満宮は1003年(長保5年)に歓喜寺が第52代・嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデルとも言われている左大臣・源融の旧邸・六条河原院(塩竃第)に移され、その鎮守に天満大自在天神を祀ったのが起源です。ちなみに歓喜寺は903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で亡くなると父・菅原是善の旧邸・菅原院を寺の改めたのが起源です。1299年(正安元年)に第93代・後伏見天皇から神号「天満宮」を賜りました。1299年(正安元年)に関白・九条忠教が天満大自在天神に殿宇を寄進しました。また九条忠教は六条河原院跡を京都八幡・善導寺に寄進し、歓喜寺は歓喜光寺に改められました。1467年(応仁元年)に応仁の乱が起こり、応仁の乱後に高辻烏丸に移りました。天正年間(1573年~1593年)に関白・豊臣秀吉の命により、現在の場所である時宗四条道場・金蓮寺の敷地に移されました。1788年(天明8年)の天明の大火・1864年(元治元年)の元治の大火(禁門の変)で焼失したと言われています。明治維新後の神仏分離令により、歓喜光寺から独立し、1907年(明治40年)に歓喜光寺が東山五条に移ると錦天満宮だけが残されました。1872年(明治5年)に新京極通が整備され、境内が縮小されました。1889年(明治22年)に社殿が焼失し、1890年(明治23年)に再建されました。
*参考・・・錦天満宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【錦天満宮春季大祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
錦天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る