金福寺の紅葉見ごろ2025(時期:11月中旬~11月下旬頃)

金福寺紅葉見ごろ

金福寺の紅葉見ごろ・アクセス・概要

金福寺の紅葉見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。金福寺は山内にモミジなどが植えられ、紅葉と高台に建てられた茶室・芭蕉庵(ばしょうあん)などの光景が美しいと言われています。ちなみに高台からは京都市内を一望することもできます。金福寺は観光客にはあまり知られていない紅葉の穴場とも言われています。(詳細下記参照)

【金福寺の紅葉見ごろ(例年時期)・2025年予測】
金福寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃から11月下旬頃です。ただ紅葉の時期や見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年9月上旬頃から京都の紅葉見ごろ情報を情報発信します。
京都紅葉見ごろ2025(清水寺・東福寺・永観堂・・・)

【金福寺紅葉 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区一乗寺才形町20
最寄り駅・バス停・・・一乗寺下り松町(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から金福寺は5系統(A1乗り場)
*四条河原町からは5系統
*四条烏丸からは5系統
路線・時刻表・運賃チェック

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【金福寺の紅葉見ごろ(例年時期)・見どころ 概要】
金福寺は紅葉の名所です。金福寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃から11月下旬頃です。ちなみに標高は約91メートルです。
金福寺は山内にモミジなどが植えられ、紅葉と高台に建てられた茶室・芭蕉庵(ばしょうあん)などの光景が美しいと言われています。ちなみに高台からは京都市内を一望することもできます。金福寺は観光客にはあまり知られていない紅葉の穴場とも言われています。
芭蕉庵は江戸時代に鉄舟と親交が深かった俳人・松尾芭蕉(まつおばしょう)がを訪れて滞在した草庵に由来しています。草庵はその後荒廃し、1776年(安永5年)に芭蕉を敬慕する俳人・与謝蕪村(よさぶそん)とその一門によって再興されました。芭蕉庵は茅葺きで、内部は天正年間 (1573年~1592年) 頃にわび茶を完成させた茶人・千利休(せんのりきゅう)が建てた国宝である妙喜庵(みょうきあん)・待庵(たいあん)に似た三畳台目の茶室になっています。なお金福寺の背後の丘には与謝蕪村や近世の俳人の墓や句碑があります。
紅葉狩りは平安時代に貴族から盛んになり、邸宅にモミジを植えたり、紅葉の名所に出掛けたりしたそうです。室町時代に徐々に庶民にも広がり、江戸時代中期に庶民の行楽として人気になったと言われています。なお奈良時代末期成立の日本最古の和歌集「万葉集」にはモミジを詠んだ和歌が残されています。

●京都で人気の紅葉名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
京都紅葉名所・見ごろ(嵐山・三千院・天龍寺・・・)

【金福寺 歴史・簡単概要】
金福寺(こんぷくじ)は864年(貞観6年)に天台宗の僧・安恵僧都(あんねそうず)が第3代天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)の遺志を継ぎ、慈覚大師・円仁自作の聖観音菩薩像を安置したのが起源と言われています。その後荒廃し、元禄年間(1688年~1704年)に圓光寺(えんこうじ)・鉄舟(てつしゅう)が再興し、天台宗から臨済宗南禅寺派に改め、圓光寺の末寺になったと言われています。ちなみに圓光寺(圓光寺)は1601年(慶長6年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康が国内教学の発展を図る為、下野足利学校の第9代学頭・三要元佶(さんようげんきつ)・閑室禅師(かんしつぜんじ)を招き、伏見に創建して学校としたのが起源と言われています。鉄舟は松尾芭蕉と親しく、芭蕉が京都を訪れた際、庭園の裏側にある草庵を訪ね、草庵は芭蕉庵と言われるようになりました。その後幕末に舟橋聖一の歴史小説「花の生涯」のヒロインである村山たか(村山たか女)が尼僧として入寺し、弁天堂を建立しました。
金福寺は臨済宗南禅寺派の寺院です。
*参考・・・金福寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【金福寺紅葉 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
金福寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
★京都の紅葉名所では紅葉の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都紅葉ライトアップ2025(清水寺・永観堂・東寺・・・)

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