妙満寺桜ライトアップ2026年3月(夜間拝観)

妙満寺桜ライトアップ(日程・アクセス・概要)
妙満寺桜ライトアップ・夜間拝観(日程時間など)を紹介しています。桜ライトアップは例年桜が見ごろを迎える時期に行われます。桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。妙満寺には桜園に大書院大桜と桜守とも言われる佐野藤右衛門(さのとうえもん)寄進の大桜が植えられ、桜園がライトアップされます。(詳細下記参照)
【妙満寺桜ライトアップ2025 日程時間(要確認)】
妙満寺桜ライトアップ2025は2025年(令和7年)3月29日(土曜日)から10日間程度(桜が散るまで)。時間は17:00~20:00です。桜の開花状況によって変更の場合があります。(現在確認中・要注意)
*参考・・・妙満寺ホームページ
●京都の桜名所では桜の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都桜ライトアップ2026(清水寺・円山公園・東寺・・・)
【妙満寺桜ライトアップ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区岩倉幡枝町91
最寄り駅・バス停・・・幡枝(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*国際会館駅からは40系統、46系統、50系統
京都バス・アクセスダイヤ
【妙満寺桜ライトアップ 歴史・簡単概要】
妙満寺桜ライトアップ・夜間拝観(やかんはいかん)は例年桜が見ごろを迎える時期に行われます。ちなみに妙満寺の桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。なお妙満寺は観光客にあまり知られていない桜名所(桜穴場)です。
妙満寺桜見ごろ
妙満寺には大書院を中心とした一角にある桜園に大書院大桜と桜守とも言われる佐野藤右衛門(さのとうえもん)寄進の大桜が植えられ、桜園がライトアップされます。妙満寺では桜の見ごろに春の特別拝観が行われ、本坊(本堂・雪の庭・展示室)や桜園を拝観することができます。(要確認)雪の庭は俳諧の祖で、俳人・歌人・歌学者である松永貞徳(まつながていとく)が作庭し、廃寺になった北野社(北野天満宮)成就院の花の庭・清水寺成就院の月の庭とともに「雪月花の洛中三名園」と言われていました。
- 大書院は本坊内にあり、42畳の広間・30畳の東の間、いずれも9畳である北の間・南の間などがあります。大書院は華道・俳句など伝統的文化活動などに利用することができるそうです。大書院からは正面に桜園を眺めることができます。
- 佐野籐右衛門は植藤造園(うえとうぞうえん)の当主が襲名しています。植藤造園は1832年(天保3年)に創業し、仁和寺(にんなじ)に植木職人として仕えてきました。第14代・佐野籐右衛門は明治時代から日本各地の滅び行く桜を憂って名桜の保存に努め、現在約200種を保存しています。植藤造園は庭園の設計・監理・施工・管理に関する一切の業務を行い、国内だけでなく、海外でも業務を行っています。第16代・佐野藤右衛門は勲五等双光旭日章を受章し、ユネスコからピカソ・メダルも授与されました。
【妙満寺 歴史・簡単概要】
妙満寺は1389年(康応元年)に日什大正師が日蓮宗の宗祖・日蓮聖人の遺志である帝都弘通を想い、北朝第5代・後円融天皇から洛中弘法の綸旨を賜り、法華堂を六条坊門室町に創建し、根本道場としたのが起源と言われています。日什大正師は天台宗の僧で、比叡山三千の学頭だったが、67歳の時に日蓮門下に入ったそうです。1395年(応永2年)に火災によって伽藍を焼失して綾小路東洞院に移ったが、室町時代中期に応仁の乱の兵火によって四条堀川に移り、1536年(天文5年)に天文法華の乱によって堺に避難しました。その後1542年(天文11年)に第105代・後奈良天皇の法華宗帰洛の綸旨によって四条堀川に戻って再建されたが、1583年(天正11年)に関白・豊臣秀吉よって寺町二条に移されました。1968年(昭和43年)に環境悪化を避ける為、昭和の大遷堂により、寺町二条から現在の場所に移りました。
*参考・・・妙満寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【妙満寺桜ライトアップ 備考】
妙満寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
*京都には多くの桜名所があり、その桜見ごろを下記リンクから確認できます。
京都桜見ごろ2026(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)















