坂本龍馬慰霊祭提灯行列2024年11月16日(日程時間・・・)

近江屋跡

坂本龍馬慰霊祭提灯行列

坂本龍馬慰霊祭提灯行列(日程・時間・・・)を紹介しています。坂本龍馬慰霊祭提灯行列は例年11月に行われています。提灯行列は三条大橋から酢屋・近江屋跡(坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地)・四条河原町・円山公園を経由し、高台寺公園まで巡行します。途中の坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地で黙祷を行います。なお有志が京都霊山護国神社に参拝します。(詳細下記参照)

【坂本龍馬慰霊祭提灯行列2024 日程時間(要確認)】
坂本龍馬慰霊祭提灯行列2024は2024年(令和6年)11月16日(土曜日)に行われます。15:30から受付開始(鴨川三条大橋下)、16:00に受付終了・集合写真撮影、16:30に出発します。(現在確認中・要注意)
●順路は三条大橋→酢屋→坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地で黙祷→四条河原町→八坂神社→円山公園(龍馬慎太郎銅像前で記念撮影)→高台寺公園(解散)→希望者で霊明神社参拝
*参考・・・京都龍馬会ホームページ

【坂本龍馬慰霊祭提灯行列・三条大橋 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市
最寄り駅・バス停・・・三条京阪前(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から心光寺は5系統(A1乗り場)
*四条河原町からは12系統、37系統、59系統
*四条烏丸からは5系統、11系統、12系統
路線・時刻表・運賃チェック

*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は三条京阪駅(徒歩すぐ)

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【坂本龍馬慰霊祭提灯行列 歴史・簡単概要】
坂本龍馬慰霊祭提灯行列は特定非営利活動法人・京都龍馬会が主催して行っています。提灯行列は三条大橋から酢屋・近江屋跡(坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地)・四条河原町・円山公園を経由し、高台寺公園まで巡行します。途中の坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地で黙祷、円山公園で写真撮影を行い、そして有志が京都霊山護国神社に参拝します。またレストラン菊水で懇親会(参加費7,000円)も行われるそうです。(要確認)なお坂本龍馬は1867年(慶応3年)旧暦の11月15日、京都河原町・近江屋で襲撃され、15日に満31歳で亡くなりました。ちなみに坂本龍馬と一緒に襲撃された下僕・藤吉は翌16日、中岡慎太郎は翌々17日に亡くなりました。坂本龍馬を襲撃したのは京都見廻組とも言われています。(諸説あり)
坂本龍馬は1836年(天保7年)1月3日(1835年(天保6年)旧暦の11月15日)に土佐の郷士・坂本八平と母・幸の次男として生まれ、1848年(嘉永元年)に日根野弁治道場に入門し、1853年(嘉永6年)に江戸に出て一刀流千葉定吉道場で剣を学び、1861年(文久元年)に土佐勤王党が結成されると加盟して尊攘派になりました。しかし翌1862年(文久2年)に脱藩すると勝海舟の下で航海術を学び、神戸海軍操練所開設に尽力しました。1865年(慶応元年)に薩摩藩の援助の下で亀山社中を結成し、1866年(慶応2年)に薩長同盟を結ばせて大政奉還への道筋を開いたが、1867年(慶応3年)12月10日(旧暦の11月15日)に襲撃されて亡くなりました。
中岡慎太郎は1838年(天保9年)5月6日(旧暦の4月13日)に土佐の郷士・中岡小伝次の子として生まれ、1861年(文久元年)に土佐勤王党が結成されると加盟して尊攘派になりました。しかし1863年(文久3年)に脱藩すると長州藩とともに蛤御門の変で戦い、1866年(慶応2年)に坂本龍馬とともに薩長同盟を結ばせて大政奉還への道筋を開いたが、1867年(慶応3年)12月10日に坂本龍馬とともに襲撃され、12月12日(旧暦の11月17日)に亡くなりました。

【近江屋跡 歴史・簡単概要】
近江屋跡(おうみやあと)・坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地(さかもとりょうま なかおかしんたろうそうなんのち)は1867年(慶応3年)11月15日(新暦の12月10日)、海援隊長・坂本龍馬と陸援隊長・中岡慎太郎が暗殺された土佐藩御用達の醤油商・近江屋(井口新助邸)があった場所です。近江屋事件(おうみやじけん)では坂本龍馬・中岡慎太郎以外にも下僕・藤吉が亡くなっています。ただ近江屋は現在なく、かつてあった場所の北隣に「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と刻まれた石碑が建っています。なお坂本龍馬はかつて海援隊の本部だった三条河原町近くの材木商・酢屋(すや)を宿舎にしていたが、左右の親指を負傷した1866年(慶応2年)3月9日(旧暦の1月23日)の寺田屋事件などにより、近江屋に移っていました。暗殺者には京都見廻組説・新選組犯行説・薩摩藩陰謀説などの諸説があるが、京都見廻組が有力とされているそうです。
*参考・・・近江屋跡(坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地)wikipedia

【京都霊山護国神社 歴史・簡単概要】
京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)は1862年(文久2年)に正法寺(しょうぼうじ)の朱印地にあった神道葬祭場・霊明社で神葬祭が行われたのが起源とも言われています。その後1868年(明治元年)に第122代・明治天皇から明治維新を目前に倒れた志士達の御霊を奉祀する為に東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔が発せられ、公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本などの諸藩が霊山の山頂に祠宇(しう)を建立し、霊山官祭招魂社を創立しました。1936年(昭和11年)の支那事変(日中戦争)をきっかけに国難に殉じた京都府出身者の英霊を手厚く祀る為、霊山官祭招魂社造営委員会が組織され、境内を拡大して新たな社殿が造営されました。1939年(昭和14年)の内務大臣布告により、京都霊山護国神社に名称を改めました。なお1970年(昭和45年)に明治維新関係の資料を展示する「霊山歴史館」が開館しました。
*参考・・・京都霊山護国神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【坂本龍馬慰霊祭提灯行列 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
●坂本龍馬ゆかりの場所には京都霊山護国神社・武信稲荷神社・岬神社・霊明神社・近江屋・寺田屋・寿寧院などがあります。
坂本龍馬ゆかりの場所
京都11月のイベント・行事

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