通天モミジ(見ごろ・洗玉澗・通天橋・・・)東福寺見どころ

東福寺見どころ

通天モミジ(見ごろ・洗玉澗・・・)

通天モミジ(通天紅葉)を解説します。通天モミジは東福寺山内にある渓谷・洗玉澗を中心に約2000本が植えられています。通天モミジは鎌倉時代に東福寺開山である聖一国師・円爾が宋から持ち帰ったと言われています。(詳細下記参照)

東福寺見どころ(三門・通天橋など)

【通天モミジの概要・概略】

●概要・概略:通天モミジ(通天紅葉)は東福寺山内にある渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)を中心に約2,000本が植えられています。通天モミジは鎌倉時代に東福寺の開山である聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)が宋(中国)から持ち帰った唐楓(とうかえで)で、葉先が3つに分かれ、黄金色に染まる特長があります。唐楓は中国原産のムクロジ科の落葉高木です。ちなみ通天モミジは例年11月中旬頃から11月下旬頃に見ごろを迎えます。なお通天モミジはその珍しさから「秋のすゑ」・「洛陽の奇観」とも言われています。
●聖一国師・円爾:聖一国師・円爾は1202年(建仁2年)に駿河国安倍郡栃沢に生まれました。静岡・久能寺(くのうじ)の堯弁(きょうべん)に師事し、倶舎論(くしゃろん)などを学び、滋賀・三井寺(みいでら・園城寺(おんじょうじ))で落髪し、奈良・東大寺(とうだいじ)で受戒しました。その後群馬・長楽寺(ちょうらくじ)の釈円栄朝(しゃくえんえいちょう)、鎌倉・寿福寺(じゅふくじ)の退耕行勇(たいこうぎょうゆう)に師事して臨済禅(りんざいぜん)を学びました。1235年(嘉禎元年)に宋(中国)に渡り、中国五山の第一である径山寺(きんざんじ)第34世・無準師範(ぶじゅんしはん)の法を嗣ぎ、1241年(仁治2年)に帰国しました。1242年(仁治3年)に博多・承天寺(じょうてんじ)を開山し、1236年(嘉禎2年)に東福寺(とうふくじ)を開山しました。その後宮中で禅を講じて臨済宗の流布に尽力したり、1269年(文永6年)に東大寺大勧進職に任命されたりしました。晩年に故郷の駿河国に戻り、母親の実家近くの蕨野(わらびの)に回春院(かいしゅんいん)を開山しました。

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【通天モミジの歴史・時代】

●歴史・時代:通天モミジ(通天紅葉)は鎌倉時代に聖一国師・円爾が宋(中国)から持ち帰り、東福寺の境内に植えられていたが、1869年(明治2年)に東福寺288世・海州楚棟(かいじゅうそとう)が桜の木と同じように一度全て伐採しました。その後再び通天モミジが植えられました。
●桜:東福寺はかつて桜の名所だったが、東福寺の画僧・明兆(みんちょう)が桜見物で遊興の地となることを危惧し、室町幕府第4代将軍・足利義持(あしかがよしもち)に伐採を願ったそうです。なお東福寺には桜の木がほとんどないと言われています。

【通天モミジの名称・名前】

●名称・名前:通天モミジ(通天紅葉)の名称は通天モミジが植えられている渓谷・洗玉澗に架かる長さ約26メートル通天橋(つうてんきょう)に由来しています。通天橋は南北朝時代の1380年(天授6年・康暦2年)に相国寺(しょうこくじ)2世・春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が洗玉澗を渡る労苦から僧を救う為に架けたと言われています。しかし通天橋は1959年(昭和34年)の台風で崩壊し、1961年(昭和36年)に再建されました。

【通天モミジと東福寺三名橋】

通天モミジが植えられている渓谷・洗玉澗には通天橋・偃月橋(えんげつきょう)・臥雲橋(がうんきょう)が架けられ、東福寺三名橋と言われています。
●通天橋:通天橋は長さ約26メートルの木造橋廊です。通天橋は切妻造の本瓦葺です。通天橋は橋脚部分が鉄筋コンクリート造です。
●偃月橋:偃月橋(重要文化財)は1603年(慶長8年)に再建されました。偃月橋は桁行十一間・梁間一間で、切妻造の桟瓦葺です。なお偃月橋は日本百名橋にも選ばれています。
●臥雲橋:臥雲橋は棟札に「造弘化四年丁未念四月己巳」と記され、1847年(弘化4年)にに架けられたと言われています。臥雲橋は桁行十間・梁行一間で、切妻造の桟瓦葺です。臥雲橋は東福寺三名橋の内、一番西側にあります。

【通天モミジ 備考】
*参考・・・東福寺(見どころ・歴史・通天モミジ・・・)ホームページ

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