千本ゑんま堂普賢象桜の夕べ(日程・時間・・・)

普賢象桜の夕べ

千本ゑんま堂普賢象桜の夕べ

千本ゑんま堂普賢象桜の夕べ(日程・時間・・・)を紹介しています。普賢象桜の夕べは毎年4月の第3土曜日に行われています。普賢象桜の夕べは室町幕府3代将軍・足利義満と北朝第6代で、第100代・後小松天皇の普賢象に関する言い伝えに由来する行事です。普賢象桜の夕べではお茶席が設けられます。また奉納舞台も行われます。(要確認)(詳細下記参照)

【千本ゑんま堂普賢象桜の夕べ2018 日程時間(要確認)】
千本ゑんま堂普賢象桜の夕べ2018は2018年4月21日(土曜日)18:00から行われます。

【千本ゑんま堂普賢象桜の夕べ アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市上京区千本通鞍馬口下ル閻魔前町34
最寄り駅・バス停・・・乾隆校前(徒歩約2分)、千本鞍馬口(徒歩約2分)

市バスのアクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは206系統(A3乗り場)
*四条河原町からは46系統、59系統
*四条烏丸からは46系統
*河原町丸太町からは59系統
京都市バス・アクセスダイヤ京都バス・鉄道乗換案内システム「歩くまち京都」

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【千本ゑんま堂普賢象桜の夕べ 歴史・簡単概要】
千本ゑんま堂普賢象桜の夕べは室町幕府3代将軍・足利義満と北朝第6代で、第100代・後小松天皇の普賢象桜(ふげんぞうざくら)に関する言い伝えに由来する行事です。1408年(応永15年)に義満が後小松天皇を後に金閣寺となる山荘・北山殿(きたやまてい)に招いた際、天皇が千本ゑんま堂に立ち寄って桜を見て感服しました。天皇は義満にも勧め、勧められた義満も千本ゑんま堂に行き、桜に心を奪われ、「桜の盛りを期して狂言を執り行うべし」と言って、毎年費用を与えたことからゑんま堂狂言が春に行われるようになったとも言われています。
普賢象桜の夕べではお茶席が設けられます。また奉納舞台も行われます。(要確認)かつてはバンド演奏などが行われました。なお千本ゑんま堂には普賢象桜・里桜・染井吉野などの桜の木が植えられています。
普賢象桜は花の中央から2本出ている雌しべが普賢菩薩(ふげんぼさつ)の乗る普賢象の鼻に似ていることから名付けられました。普賢象桜は4月下旬頃に見ごろを迎える遅咲きの桜で、花が薄紅色から徐々に白くなるが、散り際になると中心が赤くなり、椿のように花冠のまま散ります。なお普賢菩薩は文殊菩薩(もんじゅぼさつ)とともに釈迦如来の脇侍として祀られます。

【千本ゑんま堂 歴史・簡単概要】
千本ゑんま堂(せんぼんゑんまどう)・引接寺(いんじょうじ)はかつて化野(あだしの)・鳥辺野(とりべの)とともに平安京三大葬送地に数えられた蓮台野(れんだいの)の入口にあたります。千本ゑんま堂は平安時代初期に昼は宮中に赴き、夜は閻魔之廰(えんまのちょう)に仕えた公卿・文人である小野篁(おののたかむら)が法儀・精霊迎えの法の根本道場として、朱雀大路(千本通)北側に自ら刻んだ閻魔法王を安置する祠を建立したのが起源とも言われています。また千本ゑんま堂は平安時代中期の1017年(寛仁元年)に恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)の法弟・定覚上人(じょうかくしょうにん)が太政大臣・藤原道長(ふじわらのみちなが)の後援により、道場・諸人化導引接仏道を開山し、光明山歓喜院引接寺と称したのが起源とも言われています。なお千本ゑんま堂はイエズス会の宣教師であるルイス・フロイスが記した「Historia de Iapan(日本史)」の中に1565年(永禄8年)当時の千本ゑんま堂の様子が記されています。また1574年(天正2年)に織田信長(おだのぶなが)が上杉謙信(うえすぎけんしん)に贈ったと言われている国宝「洛中洛外図屏風」の中にゑんま堂狂言「閻魔庁」が演じらている様子も描かれています。
千本ゑんま堂は高野山真言宗の寺院です。
*参考・・・千本ゑんま堂(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ千本ゑんま堂(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【千本ゑんま堂普賢象桜の夕べ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
千本ゑんま堂(アクセス・見どころ・・・)情報

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