圓福寺萬人講2025/4/(日程時間・・・)
圓福寺萬人講
圓福寺萬人講(日程・時間・・・)を紹介しています。萬人講では重要文化財に指定され、日本最古とも伝えられる寺宝・達磨大師坐像が特別開扉されます。萬人講で出される赤膳の精進料理には開運・厄除け・中風に霊験があるとも言われています。参道や山門前に露店や手作り市も並びます。(要確認)(詳細下記参照)
【圓福寺萬人講2024 日程時間(要確認)】
圓福寺萬人講2024は2024年(令和6年)4月20日(土曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・圓福寺ホームページ
【圓福寺萬人講 アクセス・マップ】
場所・・・京都府八幡市八幡福禄谷153
最寄り駅・バス停・・・枚方ハイツ(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京阪本線樟葉駅から京阪バス
路線・時刻表・運賃チェック
【圓福寺萬人講 歴史・簡単概要】
圓福寺萬人講(まんにんこう)は例年4月20日に行われています。ちなみに萬人講は10月20日にも行われています。(要確認)
萬人講では重要文化財に指定され、日本最古とも伝えられる寺宝・達磨大師坐像が特別開扉されます。萬人講で出される赤膳の精進料理には開運・厄除け・中風に霊験があるとも言われています。ちなみに萬人講では達磨大師の霊験を仰ぎ、「一願祈願 一願成就」として「病気平癒・家内安全・良縁祈願・災厄消除」などを祈願ができます。(要確認)萬人講では参道や山門前に露店や手作り市も並び、いつもと違った賑やかな雰囲気を楽しむことができます。(要確認)
達磨大師坐像は像高約82センチの檜材寄木造です。達磨大師坐像は玉眼嵌入(ぎょくがんかんにゅう)で、彩色されています。かつての達磨大師坐像は聖徳太子(しょうとくたいし)が自ら刻み、大和達磨寺に安置されていたが、興福寺の衆徒によって焼き討ちにされました。室町時代に達磨寺を再興しようとした際、達磨大師坐像が行方不明になっていたことから再刻され、達磨寺に安置されたが、その後再び達磨寺が焼失し、片岡家を経て、石清水八幡宮の別当・田中家に託されていました。なお達磨(菩提達磨(ぼだいだるま))はインド人仏教僧で、6世紀初頭にインドから中国に渡り、中国に禅宗を伝えたことから禅宗の初祖とされています。
萬人講は修行中の雲水(うんすい・修行僧)が毎月決まった日供講の家々を回り お米や志納などのお布施(おふせ)を頂く托鉢(たくはつ)を「日供合米」と言います。その日供講の方々を寺院に招いて法要を行い、お斎(精進料理)を召し上がって頂く仏事を「講中斎」と言います。円福寺では講中斎の日に日供講以外の方々にも参加できるように広く門戸を開き、地域により根ざした民間行事になるよう目指しており、そのことが萬人講の原点になっています。
【圓福寺 歴史・簡単概要】
圓福寺(えんぷくじ)・円福寺は京都府八幡市八幡福禄谷にあります。圓福寺は江戸時代後期の1783年(天明3年)に白隠禅師の高弟・斯経慧梁(しきょう えりょう)禅師が大應国師を開山として勧請し、臨済宗(りんざいしゅう)最初の専門道場・江湖道場圓福寺として創建しました。斯経慧梁は若い頃から仏法久住の為に「宗派や法脈に関わらない道場」の必要性を考えており、1783年(天明3年)3月に石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の別当・田中家から達磨(だるま)の古像・御朱印(ごしゅいん)・後西院天皇から下賜された椅子などを譲り受け、同年6月に南山焼の浅井周斎居士から八幡幣原谷の土地を寄進され、その他大檀越から寄進されて庵室一宇が建立され、翌1784年(天明4年)9月1日に達磨堂が完成して入仏式が行われました。圓福寺は達磨の古像を坐禅堂の本尊として安置したことから「達磨堂」とも称されるようになりました。1786年(天明6年)12月8日に妙心寺(みょうしんじ)派の末寺になりました。なお圓福寺は京都府八幡市・大阪府枚方市にまたがる面積約3万坪の境内に山門・本堂・庫裡・禅堂・有栖川宮旧御殿などが建立されています。
*参考・・・圓福寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)
【圓福寺萬人講 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
圓福寺(アクセス・マップ・見どころ・・・)情報