祇園祭と少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ)

祇園祭と少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ)

祇園祭ではかつて大政所神輿・八王子神輿が大政所御旅所、少将井神輿が少将井御旅所に渡御していました。少将井御旅所は「社家条々記録」によると1136年(保延2年)に冷泉東洞院の方四町の敷地が寄付されて成立されたと言われています。

【祇園祭2025 日程】
祇園祭2025は2025年7月1日(火曜日)の吉符入(きっぷいり)から2025年7月31日(木曜日)の疫神社(えきじんじゃ)の夏越祭(なごしさい)までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【祇園祭と少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ)】
祇園祭ではかつて大政所神輿(おおまんどころみこし)・八王子神輿(はちおうじみこし)の2基が大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)、少将井神輿(しょうしょういみこし)の1基が少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ)と八坂神社の間を渡御していました。八坂神社の祭神・頗梨采女(はりさいにょ)を乗せた少将井神輿は6月7日の神幸祭(しんこうさい・神輿迎え)で四条通(しじょうどおり)を西に向かい、東洞院通(ひがしのとういんどおり)を北上し、少将井御旅所に泰安されました。その後6月14日の還幸祭(かんこうさい・祇園会)で少将井御旅所から二条通(にじょうどおり)を西に向かい、大宮通(おおみやどおり)を南下し、三条通(さんじょうどおり)を東に向かい、八坂神社に戻ります。北朝方の官人・中原師守(なかはらのもろもり)が記した「師守記(もろもりき)」1364年(正平19年・貞治3年)6月7日の条に少将井の神人(じにん)らと武家小舎人の雑色(ぞうしき)との間に喧嘩が起こり、「神人一人殺害」・「神輿付血」と記され、当時の神輿渡御の一端を知ることができます。
少将井御旅所は冷泉東洞院(京都市中京区車屋町通夷川上ル少将井御旅町)にあったと言われています。少将井御旅所は「社家条々記録」によると平安時代後期の1136年(保延2年)に冷泉東洞院の方四町の敷地が寄付されて成立されたと言われています。1117年(永久5年)には既に祇園別宮があったとも言われています。ちなみに大政所御旅所は少将井御旅所に先駆け、平安時代中期の974年(天延2年)に成立し、祇園祭で神輿渡御が始まったとも言われています。少将井御旅所では室町時代の神道家・卜部兼邦の「兼邦百首歌抄(兼邦百首)」によると少将井神輿を少将井の井桁の上に安置し、疫病の流行を防いだとも言われています。ただ「兼邦百首歌抄(兼邦百首)」では八王子神輿とされています。少将井御旅所は桃山時代の1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が大政所御旅所と統合し、四条御旅所(祇園御旅所)に移しました。四条御旅所では少将井御旅所が南御旅所として、江戸時代に因幡堂薬王院(後にち大和家)が宮守として奉仕しました。少将井御旅所跡には天王社が建立されたが、1877年(明治10年)に京都御苑の宗像神社(むなかたじんじゃ)に遷されました。
宗像神社は社伝によると795年(延暦14年)に公卿・藤原冬嗣が第50代・桓武天皇の勅命により、皇居鎮護の神として筑前宗像神を勧請し、冬嗣邸・小一条院に祀ったのが起源と言われています。応仁の乱で焼失し、その後再建されました。安政年間に現在の社殿が建立されたが、1869年(明治2年)の東京遷都によって社殿のみが残されました。なお宗像神社では還幸祭・山鉾巡行(後祭)が行われる7月24日に八坂神社の神職が神饌を供え、祇園祭の斎行を報告しています。

【少将井 祇園祭】
少将井御旅所が建立されていた場所には少将井(しょうしょうのい・しょうしょうい)がありました。少将井は「後拾遺和歌集」に入首した歌人・少将井尼(しょうしょうのいのあま)の居宅にあったとも言われ、名称の由来にもなっています。少将井は清少納言(せいしょうなごん)の「枕草子(まくらのそうし)」168段に「井は、ほりかねの井。走り井は逢坂なるがをかしき。山の井、さしも浅きためしになりはじめけむ。飛鳥井「みもひも寒し」とほめたるこそをかしけれ。玉の井、少将ノ井、櫻井、后町の井。千貫の井。」と記され、平安京の名井に数えられました。なお1972年(昭和47年)に京都新聞社が平安博物館(京都文化博物館)に依頼して発掘調査を行ないました。平安時代の泉水は確認できなかったが、鎌倉時代から近代までの井戸跡が多数見つかりました。

【祇園祭と少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ) 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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