隨心院梅見ごろ2025(時期:3月中旬~下旬頃)はねず踊り

隨心院梅

隨心院梅見ごろ(見頃)

隨心院梅見ごろ(時期・イベント等(梅まつり))を紹介しています。梅見ごろは例年3月中旬頃から3月下旬頃です。隨心院は西側の小野梅園などに薄紅色のはねずの梅(八重紅梅)・山紅梅・白梅など約200本の梅の木が植えられ、梅と小野梅園などの光景が美しいと言われています。梅見ごろにはねず踊り・はねず踊り奉納舞を行っています。(要確認)(詳細下記参照)

【隨心院梅見ごろ(例年時期)】
隨心院の梅見ごろは例年3月中旬頃から3月下旬頃です。なお梅の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都梅見ごろ2025(北野天満宮・梅宮大社・・・)

【隨心院梅 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市山科区小野御霊町35
最寄り駅・バス停・・・小野駅(徒歩約5分)

京阪アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*四条大宮・四条烏丸・四条河原町・三条京阪からは83系統、83A系統、84系統、86系統、86B系統、87A系統、87B系統、88B
路線・時刻表・運賃チェック

*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は小野駅(徒歩約5分)

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【隨心院梅見ごろ(例年時期)・見どころ 概要】
隨心院は京都を代表する梅の名所です。隨心院の梅見ごろは例年3月中旬頃から3月下旬頃です。隨心院では遅咲きのはねずの梅が多いことから見ごろが遅くなります。
隨心院では西側の小野梅園(名勝)などに遅咲きで薄紅色のはねずの梅(八重紅梅(やえこうばい))・紅梅(こうばい)・白梅(はくばい)など約200本の梅の木が植えられ、梅と小野梅園などの光景が美しいと言われています。なお隨心院では梅が見ごろを迎える時期にはねず踊り・はねず踊り奉納舞を行っています。(要確認)
隨心院はねず踊り
●はねずの梅は遅咲きの八重紅梅です。はねずの梅の名称は白みをおびた薄い紅色を古来「はねず(朱華・唐棣・棠棣)」と言っていたことに由来しています。日本最古の和歌集「万葉集(萬葉集)」では「思わじと 言ひてしものを 朱華色の 移ろひやすき わが心かも(大伴坂上郎女・おおとものさかのうえのいらつめ)」・「山吹の 匂へる妹が 朱華色の 赤裳の姿 夢にみえつつ(作者不明)」と詠まれています。また日本最古の正史「日本書紀」の天武天皇14年(687)条では「秋七月・・・浄位より已上は、並に朱華を着る・・・」と記され、飛鳥時代の天武天皇の時代に親王や諸王の衣装の色として定められたこともありました。八重紅梅は中国原産のバラ科サクラ属の小高木です。八重紅梅は奈良時代に遣隋使または遣唐使が中国から伝えたと言われています。八重紅梅は八重咲きの紅梅です。
●はねず踊りは一時途絶えていたが、1973年(昭和48年)に古老の記憶を元に作曲家・大橋博と舞踏家・森本博子の協力によって再興されました。大正時代末期までは小野の里の子供が里の家々を回りながら百夜通いの童歌に合わせ、踊りを披露していたそうです。ねず踊りは絶世の美女で、六歌仙・三十六歌仙に数えられる小野小町(おののこまち)と深草少将(ふかくさのしょうしょう)との恋物語・百夜通い(ももよがよい)を題材にした踊りです。百夜通いでは深草少将は小野小町の元に九十九夜通ったが、雪の降る日に雪に埋まって亡くなり、思いは叶わなかったとされています。なおはねず踊りの前日にははねず踊り奉納舞も行われています。
随心院はねず踊り奉納舞

●京都で人気の梅名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
京都梅名所・見ごろ

【隨心院 歴史・簡単概要】
隨心院(ずいしんいん)・随心院は世界三大美人に数えられ、絶世の美女と謳われた女流歌人・小野小町(おののこまち)邸があった場所とも言われています。また隨心院は平安時代中期の991年(正暦2年)に雨僧正(あめそうじょう)とも言われる真言宗(しんごんしゅう)小野流の開祖・仁海僧正(にんがいそうじょう)が第66代・一条天皇(いちじょうてんのう)から土地を賜って創建した牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひさんまんだらじ)があった場所とも言われています。隨心院は鎌倉時代に曼荼羅寺第5世住持・増俊(ぞうしゅん)が曼荼羅寺の塔頭(たっちゅう)として創建したのが起源と言われています。その後第84代・順徳天皇(じゅんとくてんのう)、第86代・後堀河天皇(ごほりかわてんのう)、第87代・四条天皇(しじょうてんのう)の祈願所になり、鎌倉時代前期の1229年(寛喜元年)に後堀河天皇の宣旨(せんじ)によって門跡寺院になり、一条家・二条家・九条家などから入寺したと言われています。しかし応仁の乱(おうにんのらん)の兵火によって伽藍の多くを焼失し、その後九条唐橋などに度々移り、桃山時代の1599年(慶長4年)に曼陀羅寺の故地に本堂が再建されました。
隨心院は真言宗善通寺派の大本山です。
*参考・・・隨心院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)

【隨心院梅 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
隨心院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る