清水寺秋の彼岸会(例年秋の彼岸入り)

清水寺秋の彼岸会

清水寺秋の彼岸会(日程・時間・・・)を紹介しています。秋の彼岸会は毎年秋の彼岸入りに行われています。秋の彼岸会では秋の彼岸の入りに三界万霊や先祖に対して、追善供養の法要を行います。なお彼岸は秋分の日とその前後3日間、合計7日間を言います。7日間の初日を彼岸の入り、最後の日を彼岸明けと言います。

【清水寺秋の彼岸会 日程時間(要確認)】
清水寺秋の彼岸会は毎年秋の彼岸入りに行われます。(秋の彼岸入りは毎年同じではありません。)

【清水寺秋の彼岸会 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区清水1-294
最寄り駅・バス停・・・清水道(徒歩約10分)、五条坂(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から清水寺は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)
*京都駅八条口(南口)アバンティ前からは202系統
*祇園からは100系統、202系統、206系統、207系統
*四条大宮・四条烏丸・四条河原町・四条京阪からは207系統
*千本丸太町・堀川丸太町・河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は清水五条駅(徒歩約22分)・祇園四条駅(徒歩約25分)
*阪急京都本線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約30分)
清水寺アクセス(バス・地下鉄・私鉄・・・)

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【清水寺秋の彼岸会 歴史・簡単概要】
清水寺秋の彼岸会(ひがんえ)では秋の彼岸の入りに三界万霊や先祖に対して、追善供養の法要を行います。
彼岸は雑節のひとつです。彼岸は秋分の日とその前後3日間、合計7日間を言います。7日間の初日を彼岸の入り、最後の日を彼岸明けと言います。彼岸では中日に先祖に感謝し、前後3日間は悟りの境地に到る6つの徳目・六波羅蜜を修める日とされています。なお悟りの彼岸に対し、煩悩の此岸(しがん)とも言われます。
彼岸会は秋分の日を中日とする合計7日間に行う法会です。秋分の日には太陽が真西に沈む為、阿弥陀さまのいる西方極楽を思う日ともされているそうです。ただ彼岸会はインド・中国にはなく、日本独自の風習と仏教が結びついたものとされています。ちなみに彼岸会は「日本後紀」によると806年(大同元年)に日本で初めて行われたと言われています。なお彼岸会では寺院に参詣したり、お墓に参ったり、ぼたもちを供えたりします。
●清水寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
清水寺歴史(延鎮上人・坂上田村麻呂・・・)
●清水寺の見どころ(清水の舞台・三重塔など)を紹介しています。
清水寺見どころ(清水の舞台・三重塔など)
●清水寺の七不思議(清水の舞台など)を紹介しています。
清水寺七不思議(見どころ)

【清水寺 歴史・簡単概要】
清水寺(きよみずでら)は奈良時代後期の778年(宝亀9年)に奈良・興福寺(こうふくじ)の僧で、子島寺(こじまでら・子嶋寺)で修行していた延鎮上人(えんちんしょうにん)・賢心(けんしん)が「南の地を去れ」という霊夢により、音羽山に庵を結んだのが起源と言われています。その後780年(宝亀11年)に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が延鎮上人から鹿狩りの殺生を戒められ、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の教えを諭されて、自らの邸宅を仏殿に寄進しました。また坂上田村麻呂は妻とともに本尊・十一面千手観音像と地蔵菩薩・毘沙門天を安置したとも言われています。平安時代前期の805年(延暦24年)に第50代・桓武天皇の御願寺になり、810年(弘仁元年)には鎮護国家の道場になり、第52代・嵯峨天皇から「北観音寺」の宸筆を賜りました。江戸時代前期の1633年(寛永10年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって本堂(清水の舞台)が再建されました。なお清水寺は1994年(平成6年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)のひとつに登録されました。
清水寺は北法相宗の本山です。
*参考・・・清水寺(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

【清水寺秋の彼岸会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
清水寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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