北野天満宮ずいき祭2024年10月1日~5日(日程時間・・・)
北野天満宮ずいき祭
北野天満宮ずいき祭(瑞饋祭)(日程・時間・・・)を紹介しています。ずいき祭は例年10月1日から10月5日まで行われます。ずいき祭では10月1日に北野天満宮から西ノ京の御旅所、10月4日に御旅所から北野天満宮まで鳳輦などが巡行します。なおずいき御輿は10月1日から4日午前中まで御旅所に奉安・駐輦(ちゅうれん)されます。(詳細下記参照)
【北野天満宮ずいき祭2024 日程時間(要確認)】
北野天満宮ずいき祭2024は2024年(令和6年)10月1日(火曜日)~5日(土曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
●1日9:00から北野天満宮で出御祭、13:00に北野天満宮から御旅所まで行列出発、16:00から御旅所で着御祭・八乙女舞奉納(田舞・鈴舞)が行われます。
●2日10:00から御旅所で献茶祭(表千家宗匠)が行われます。
●3日15:00から御旅所で甲御供奉饌が行われます。
●4日10:00から御旅所で出御祭、13:00に御旅所から北野天満宮まで行列出発、17:00から北野天満宮で着御祭が行われます。なおずいきみこしは12:30に御旅所出発します。
●5日15:30から北野天満宮で后宴祭・八乙女舞奉納(田舞)が行われます。
*参考・・・北野天満宮ホームページ
【北野天満宮ずいき祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から北野天満宮は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック
*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約7分)
【北野天満宮ずいき祭 歴史・簡単概要】
北野天満宮ずいき祭・瑞饋祭(ずいきまつり)は第62代・村上天皇の時代(946年(天慶9年)~967年(康保4年))に始まったと言われています。ずいき祭は901年(延喜元年)に太宰府に左遷された祭神・菅原道真が大宰府で彫った木像を随行の西ノ京の神人(じにん)が持ち帰って祀り、秋の収穫期に野菜や穀物を供えて感謝したのが起源と言われています。なおずいき祭は現在は北野の神を西ノ京の御旅所に迎えてずいき御輿を奉り、収穫に感謝の誠心を捧げる祭礼になっています。
ずいき祭の1日目(10月1日)は午前中に鳳輦(ほうれん)に神霊・天神さま(菅原道真)を移す出御祭が行われ、午後から3基の鳳輦・鉾(梅鉾・松鉾)・神職などが氏子地区を巡行して、西ノ京の御旅所に向かいます。御旅所到着後に着御祭が行われ、八乙女舞(やおとめまい)が奉納されます。なお野菜・乾物などで飾り付けしたずいき御輿は鳳輦とともに4日まで奉安・駐輦(ちゅうれん)されます。
ずいき祭の2日目(10月2日)は午前中に御旅所で、表千家宗匠による献茶祭が行われます。
ずいき祭の3日目(10月3日)は午後から御旅所で、甲御供奉饌(かぶとのごくほうせん)が行われます。
ずいき祭の4日目(10月4日)は午前に御旅所で出御祭が行われ、牛が曳く御羽車・鳳輦・鉾・神職などが氏子地区を巡行して、北野天満宮に戻ります。天満宮到着後には着御祭(還幸祭)が行われます。なお行列に先立ってずいき神輿が巡行します。
ずいき祭の5日目(10月5日)は午後から后宴祭(ごえんさい)が行われ、拝殿前で八乙女舞が奉納されます。
ずいき祭の「ずいき」は里芋の茎(くき)である「芋苗英(いもずいき)」のことで、ずいきを神輿の屋根を葺くことからずいき祭と言われるようになったそうです。なおずいき神輿は慶長年間(1596年~1614年)頃に北野祭(例祭)で供えた野菜を大型御輿として作り飾り付けたのが起源と言われているそうです。
●北野天満宮の歴史(創建から現在)を紹介しています。
北野天満宮歴史(菅原道真・豊臣秀吉・豊臣秀頼)
●北野天満宮の見どころ(本殿・三光門など)を紹介しています。
北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)
【北野天満宮 歴史・簡単概要】
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は平安時代中期の947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)・近江(滋賀)比良宮(ひらのみや)の神主である神良種(みわのよしたね)・北野朝日寺(東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ))の僧である最珍(さいちん・最鎮)らが神殿を造営し、祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で没し、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)には神良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の甥・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。987年(永延元年)に第66代・一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)には一条天皇が行幸し、その後皇室に崇敬されました。しかし1444年(文安元年)の文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)で室町幕府の攻撃によって焼失して一時衰退しました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が境内で北野大茶会(きたのだいさのえ)を行い、1607年(慶長12年)には秀吉の子・豊臣秀頼が本殿などを造営しました。なお北野天満宮は「文道の大祖・風月の本主」と言われる菅原道真を祀っていることもあり、学問の神として多くの信仰を集めています。
北野天満宮は菅原道真を祀った神社の総本社です。
*参考・・・京都・北野天満宮(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【北野天満宮ずいき祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
ずいき祭では期間中御旅所に屋台露店が並びます。(要確認)
京都・北野天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報