北野天満宮御旅所(アクセス・マップ・歴史・・・)
北野天満宮御旅所
北野天満宮御旅所(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。北野天満宮御旅所にはずいき祭の神幸祭から還幸祭までの期間、3基の鳳輦(ほうれん)・ずいき御輿が置かれます。なおずいき御輿は里芋の茎(ずいき)を屋根を葺き、野菜や乾物などで飾り付けしたものです。
【北野天満宮御旅所 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
最寄り駅・バス停・・・円町駅(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から北野天満宮御旅所はJR嵯峨線
*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約15分)
【北野天満宮御旅所 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【北野天満宮御旅所 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【北野天満宮御旅所 歴史・簡単概要】
北野天満宮御旅所(きたのてんまんぐうおたびしょ)は起源が明確ではありません。御旅所内には北野天満宮の境外末社・御輿岡神社(みこしがおかじんじゃ)があり、大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀っています。御輿岡神社は土地の守り神とされているそうです。なお御旅所は祭礼の際に神輿を本宮から一時的に移して奉安する場所です。
北野天満宮御旅所のひとつにはかつて文子天満宮(あやこてんまんぐう)があった場所もあります。文子天満宮は1873年(明治6年)に北野天満宮内に移され、旧社地が御旅所になりました。
【北野天満宮 歴史・簡単概要】
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は平安時代中期の947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)・近江(滋賀)比良宮(ひらのみや)の神主である神良種(みわのよしたね)・北野朝日寺(東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ))の僧である最珍(さいちん・最鎮)らが神殿を造営し、祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で没し、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)には神良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の甥・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。987年(永延元年)に第66代・一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)には一条天皇が行幸し、その後皇室に崇敬されました。しかし1444年(文安元年)の文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)で室町幕府の攻撃によって焼失して一時衰退しました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が境内で北野大茶会(きたのだいさのえ)を行い、1607年(慶長12年)には秀吉の子・豊臣秀頼が本殿などを造営しました。なお北野天満宮は「文道の大祖・風月の本主」と言われる菅原道真を祀っていることもあり、学問の神として多くの信仰を集めています。
北野天満宮は菅原道真を祀った神社の総本社です。
*参考・・・京都・北野天満宮(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【北野天満宮御旅所 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
北野天満宮御旅所の見どころはずいき祭(瑞饋祭)の神幸祭(しんこうさい)から還幸祭(かんこうさい)までの期間、置かれる3基の鳳輦(ほうれん)・ずいき御輿です。なお神幸祭と還幸祭の期間、御旅所では献茶祭・甲御供奉饌が行われて見どころにもなっています。
ずいき祭は例年10月1日から5日まで行われ、神幸祭が1日・還幸祭が4日に行われます。
北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)・北野天満宮・ずいき祭
【北野天満宮御旅所 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-461-0005
【北野天満宮御旅所 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
京都・北野天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
【北野天満宮御旅所 おすすめ散策ルート】
北野天満宮御旅所からのおすすめ散策ルートは平野神社を経由し、北野天満宮に向かうルートです。御旅所の東にある西大路通を北に向い、今出川通を東に向かうと25分ほど北野天満宮に到着することができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なおルート周辺には大将軍八神社などもあり、それらを散策するのもいいかもしれません。