神あかり結のチカラ(日程・時間・・・)

神あかり結のチカラ

神あかり結のチカラ(日程・時間・・・)を紹介しています。神あかり結のチカラは秋に行われています。神あかり結のチカラ(かみあかりゆいのチカラ)は多賀大社・胡宮神社・大瀧神社・高源寺・絵馬通りを舞台に行われます。神あかり結のチカラではオープニングの提灯行列・ライトアップなど様々なイベントが行われます。(要確認)(詳細下記参照)

【神あかり結のチカラ2018 日程時間(要確認)】
神あかり結のチカラ2018は2018年9月29日(土曜日)~11月30日(金曜日)日没~21:00まで行われます。なおスペシャルディは多賀大社が9月29日~10月8日、絵馬通が10月6日~8日、胡宮神社・大瀧神社・高源寺11月23日~25日です。(内容現在確認中・要注意)

【神あかり結のチカラ・多賀大社 アクセス・マップ】
場所・・・犬上郡多賀町多賀604番地
最寄り駅・バス停・・・多賀大社前駅(徒歩約10分)

アクセスは次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR彦根駅から近江鉄道・多賀線

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【神あかり結のチカラ 歴史・簡単概要】
神あかり結のチカラ(かみあかりゆいのチカラ)は多賀大社・胡宮神社・大瀧神社・高源寺・絵馬通りを舞台に行われます。多賀大社では祈りの石ころあかり・境内ライトアップ・キャンドルナイト、胡宮神社では神の庭・紅葉ライトアップ、大瀧神社では水の森・ブルーライトアップ、高源寺では山の庵・庭園ライトアップ、絵馬通り町並みでは絵馬通りまちあかりなどが行われます。神あかり結のチカラではオープニングに多賀大社と絵馬通りで提灯行列が行われ、多賀大社・胡宮神社・大瀧神社・高源寺のスペシャルディでは境内ナイトツアー(多賀大社)、演奏や公演(胡宮神社)、公演や「食」のおもてなし(大瀧神社)、法話や「食」のおもてなし(高源寺)などが行われます。(要確認)

*参考・・・神あかり結のチカラホームページ

【多賀大社 歴史・簡単概要】
多賀大社(たがたいしゃ)・お多賀さんは起源が明確ではありません。多賀大社は日本最古の歴史書「古事記(712年(和銅5年)」に「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」と記され、それ以前から祀られていたとも言われています。また多賀大社は社伝によると神代の昔、国生みの大業を終えられた伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)が高天の原から杉坂峠に天降られたとも言われ、神代の昔から祀られていたとも言われています。多賀大社は古くからお多賀さんの名で親しまれる滋賀県第一の大社で、延命長寿・縁結び・厄除けのご利益があると信仰されてきました。
多賀大社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

【胡宮神社 歴史・簡単概要】
胡宮神社(このみやじんじゃ)は起源が明確ではありません。胡宮神社は青龍山(せいりゅうざん)の巨石・磐座(いわくら)信仰が起源とも言われています。胡宮神社は第31代・用明天皇の皇子・聖徳太子(厩戸皇子)が第30代・敏達天皇の勅願によって創建したとも言われています。また聖徳太子が創建した敏満寺(びんまんじ)の鎮守社として境内に祀られていたとも言われています。敏満寺は鎌倉時代に隆盛を極め、48伽藍・120坊を有する大寺院だったが、浅井長政(あざいながまさ)・織田信長の焼き討ちによって衰退して廃寺になり、1638年(寛永15年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光が胡宮神社を再興し、その後別当・福寿院によって支配されたと言われています。
胡宮神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

【大瀧神社 歴史・簡単概要】
大瀧神社(おおたきじんじゃ)は起源が明確ではありません。大瀧神社は「淡海落穂草(おうみおちぼぐさ)」に「大瀧三社の御舘野の礼所は大同2年坂上田村麿将軍の御領にて建立云々」と記され、807年(大同2年)以前から祀られていたとも言われています。また大瀧神社は古来から多賀大社(たがたいしゃ)の末社または奥宮だったとも言われています。ちなみに多賀大社は日本最古の歴史書「古事記(712年(和銅5年)」に「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」と記され、それ以前から祀られていたとも言われています。また多賀大社は社伝によると神代の昔、国生みの大業を終えられた伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)が高天の原から杉坂峠に天降られたとも言われ、神代の昔から祀られていたとも言われています。
大瀧神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

【高源寺 歴史・簡単概要】
高源寺(こうげんじ)は鎌倉時代に近江源氏・佐々木氏の四天王に数えられた楢崎氏の菩提寺として創建されたとも言われています。高源寺は当初天台宗に属し、十福寺とも言われていたそうです。その後織田信長によって佐々木氏が滅ぼされると楢崎氏もこの地を離れて廃寺になったと言われています。江戸時代初期に彦根藩主・井伊家の家老である脇家・宇津木家の両家が再興し、両氏の院号に因んで天徳山高源寺と名付けられました。
高源寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

【神あかり結のチカラ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。

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