本能寺信長公忌2025年6月2日(日程時間・・・)

本能寺(Honno-ji Temple)

本能寺信長公忌

本能寺信長公忌(日程・時間・・・)を紹介しています。信長公忌は例年6月2日に行われています。本能寺信長公忌(のぶながこうき)は1582年(天正10年)の本能寺の変で自害した織田信長の命日である旧暦の6月2日に信長を偲ぶ法要です。本能寺は本能寺の変後に現在の場所に移っています。なおイベントが行われることがあります。(要確認)(詳細下記参照)

【本能寺信長公忌2025 日程時間(要確認)】
本能寺信長公忌2025は2025年(令和7年)6月2日(月曜日)14:00から行われます。過去のタイムテーブルは12:00から落語・笑福亭円笑、13:00から講演会・顕本寺住職 菅原善隆、15:00からライブペイント・墨絵師 御歌頭、16:00からみんなで踊ろう本能寺の変・ダンスユニット「エグスプロージョン」が行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・本能寺ホームページ
●阿弥陀寺でも信長忌が行われます。
阿弥陀寺信長忌

【本能寺信長公忌 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
最寄り駅・バス停・・・河原町三条(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から本能寺は5系統(A1乗り場)、17系統(A2乗り場)、205系統(A2乗り場)
*四条河原町からは3系統、32系統、205系統
*四条烏丸からは3系統、5系統、32系統
*河原町丸太町からは4系統、10系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック

*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約10分)
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は三条駅(徒歩約5分)
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は京都市役所前駅(徒歩すぐ)

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【本能寺信長公忌 歴史・簡単概要】
本能寺信長公忌(のぶながこうき)は1582年(天正10年)の本能寺の変で自害した織田信長の命日である旧暦の6月2日に信長を偲ぶ法要です。なお本能寺は本能寺の変後に現在の場所に移っています。
信長公忌では先ず本堂で法要が行われます。その後薩摩琵琶による「本能寺」の演奏や墨絵師・御歌頭(OKAZU)によるライブペインティングなどのイベントが行われることがあります。(要確認)
本能寺の変は1582年(天正10年)6月2日(新暦6月21日)、明智光秀が本能寺に宿泊していた主君・織田信長に起こした謀反です。光秀は6月1日に軍勢約1万3千人を率いて丹波亀山城を出陣し、6月2日午前4時頃に本能寺を包囲し、寝込みの信長を襲撃しました。「信長公記(しんちょうこうき)」によると信長は蘭丸(森成利)に「こは謀反か。如何なる者の企て。」と尋ね、物見から戻った蘭丸が「明智が者と見え申し候。」と報告すると信長は「是非に及ばず。(やむおえぬ)」と言ったと言われています。なお光秀が本能寺の変を起こした理由は明確ではありません。最近の資料では四国・長宗我部問題が有力とも言われているそうです。ちなみに光秀は信長の遺体を探したが、発見できなかったそうです。
織田信長は1534年(天文3年)6月23日(旧暦5月12日)に戦国大名・織田信秀の嫡男として生まれ、1551年(天文20年)に家督を継ぎました。1560年(永禄3年)に桶狭間の戦で今川義元を倒し、1562年(永禄5年)に徳川家康と同盟を結び、1568年(永禄11年)に室町幕府第15代将軍・足利義昭を擁して上洛しました。その後1573年(天正元年)に義昭を追放して室町幕府を滅ぼしたが、天下統一の途中である1582年(天正10年)6月21日(旧暦6月2日)の本能寺の変により、49才で自刃しました。
本能寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
薩摩琵琶は室町時代に薩摩の盲僧・淵脇了公が島津忠良が命により、武士の士気高揚の為に作詞・作曲し、琵琶を改良したのが起源と言われています。
●本能寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
本能寺歴史(織田信長・豊臣秀吉)
●本能寺の見どころ(本堂・信長公御廟所拝殿など)を紹介しています。
本能寺見どころ(本堂・信長公御廟所拝殿・・・)

【本能寺 歴史・簡単概要】
本能寺(ほんのうじ)は1415年(応永22年)に日隆聖人(にちりゅうしょうにん)が妙本寺(みょうほんじ)5世・月明上人と対立して妙本寺(後の妙顕寺(みょうけんじ))を去り、油小路高辻と五条坊門の間に本応寺を創建したのが起源です。その後妙本寺5世・月明上人によって破却され、日隆聖人は河内三井の本厳寺(ほんごんじ)・兵庫尼崎の本興寺(ほんこうじ)に移ったが、1429年(永享元年)に小袖屋宗句(山本宗句)の援助によって西陣付近に再建され、1433年(永享5年)に如意王丸を願主に六角大宮に本能寺を建立しました。1536年(天文5年)の天文法華の乱によって焼失し、1545年(天文14年)に第12代貫首・日承聖人(にちじょうしょうにん)が四条西洞院に再建しました。1582年(天正10年)の明智光秀による本能寺の変によって焼失し、1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉の命によって現在の場所に移り、第14代貫首・日衍聖人(にちえんしょうにん)が再建しました。1788年(天明8年)の天明大火で焼失し、1840年(天保11年)に第77代貫首・日恩聖人(にちおんしょうにん)が再建したが、1864年(元治元年)の蛤御門の変(はまぐりごもんのへん・禁門の変(きんもんのへん))でも焼失し、1928年(昭和3年)に現在の本堂が再建されました。
本能寺は法華宗本門流の大本山です。
*参考・・・京都・本能寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【本能寺信長公忌 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
信長公忌では本堂内は撮影できません。(要確認)
本能寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る