本能寺跡(アクセス・マップ・概要・・・)織田信長

本能寺跡

本能寺跡

本能寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介。 本能寺跡の場所は現在の本能寺がある場所ではありません。本能寺跡は堀川高校・堀川高本能学舎が目印です。1582年(天正10年)6月21日に織田信長が明智光秀の謀反によって自害し、1591年(天正19年)に豊臣秀吉が本能寺を現在の場所に移して再建しました。(本能寺跡場所下記参照)

【本能寺跡 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市中京区小川通蛸薬師元本能寺町

【本能寺跡 アクセス(市バス)】
最寄りバス停・・・四条西洞院(徒歩約4分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは26系統(D3乗り場)、28系統(D3乗り場)、206系統(A3乗り場)
*四条河原町からは46系統、201系統、203系統
*四条烏丸からは11系統、32系統、91系統
*河原町丸太町からは3系統
路線・時刻表・運賃チェック

【本能寺跡 アクセス(電車)】
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は大宮駅(徒歩約10分)

【本能寺跡 拝観時間・時間(要確認)】
自由

【本能寺跡 拝観料金・料金(要確認)】
無料

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【本能寺跡 歴史・簡単概要】
本能寺跡(ほんのうじあと)は1582年(天正10年)6月21日(旧暦の6月2日)に織田信長が家臣・明智光秀の謀反により、火を放って自害した本能寺があった場所です。信長は「信長公記(しんちょうこうき)」によると蘭丸(森成利)に「こは謀反か。如何なる者の企て。」と尋ね、物見から戻った蘭丸が「明智が者と見え申し候。」と報告すると信長は「是非に及ばず。(やむおえぬ)」と言ったと言われています。光秀の謀反の理由には四国・長宗我部氏問題などの諸説があります。(2015年(平成27)に資料が発見されたことがニュースになりました。)また光秀の裏には黒幕がいたなどの諸説もあるそうです。なお本能寺は1415年(応永22年)日隆聖人(にちりゅうしょうにん)が妙本寺を去り、油小路高辻と五条坊門の間に本応寺を創建したのが起源です。その後日隆聖人と対立した妙本寺5世・月明が本応寺を破却しました。1429年(永享元年)小袖屋宗句(山本宗句)の援助により、千本極楽付近に再建され、1433年(永享5年)如意王丸から六角大宮の土地を寄進されて移り、名称を本能寺に改めました。しかし本能寺の変によって焼失しました。
*参考・・・本能寺跡(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【本能寺跡 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
本能寺跡の見どころは老人ホームなどの施設の西側に建てられた石碑です。

【本能寺跡 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・なし

【本能寺跡 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
現在の本能寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【本能寺跡 おすすめ散策ルート】
本能寺跡からのおすすめ散策ルートは東にある堀川通を北に向かって、二条城に向かうルートです。20分ほど散策すれば、世界遺産である二条城に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお本能寺跡の南には四条通があり、そちらを散策するのもいいかもしれません。15分ほど散策すれば烏丸通に辿り着きます。

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