木賊山(ちまき販売日程・ご利益・・・)祇園祭前祭山鉾
木賊山
木賊山(ちまき販売日程・ご利益・マップ)を紹介しています。木賊山は重さが1トン未満の小型の山鉾で、木賊山は我が子を人にさらわれ、信濃伏屋の里で一人木賊を刈る翁を描いた謡曲「木賊」に由来しています。木賊山の「木賊」はトクサ科トクサ属の植物です。
★ちまき販売(前祭)は例年宵山の7月14日~16日で、一部の山鉾で7月13日から始まります。ネット販売を行う山鉾もあります。
祇園祭ちまき販売(前祭)
★祇園祭最新情報。
【木賊山の場所位置 マップ・アクセス】
場所・・・京都府京都市下京区仏光寺通油小路東入木賊山町
位置・・・西洞院通(南北)・仏光寺通(東西)交差点の西約90メートルの仏光寺通
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約13分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
●祇園祭山鉾マップ(前祭)by グーグルマップ
【ちまき(粽)などの授与品】
ちまき(粽)・手拭・迷子のお守りなど
【搭乗(要確認)】
–
【ご利益】
迷子除け・再会
【木賊山 歴史・簡単概要】
木賊山(読み方:とくさやま)は起源が明確ではありません。木賊山は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記(ぎおんしゃき)」第15(八坂神社記録)に記されておらず、応仁の乱後に創建されたとも言われています。
木賊山は我が子を人にさらわれ、信濃伏屋(しなのふせや)の里で一人木賊を刈る翁(おきな)を描いた謡曲・木賊に由来しています。都の僧が一度父に会いたいと少年を連れ、信濃に下りました。僧は老人と会い、老人は僧と少年をもてなし、旅舎を営みながら我が子の行方を探していると切々と訴えました。少年は老人に一子松若よと名乗り、再会を喜び合いました。謡曲・木賊は室町時代の猿楽師・世阿弥(ぜあみ)の作と言われています。木賊は地下茎が横に伸び、地上茎が直立したトクサ科トクサ属の植物で、本州中部から北海道に掛けての山間湿地に自生しています。木賊の茎は煮て乾燥させ、紙ヤスリのように研磨に使われるそうです。また干した茎は目の充血や涙目に効果があると生薬・木賊(もくぞく)にもなるそうです。
世阿弥は大和猿楽結崎座の猿楽師・観阿弥の子として生まれました。幼少から結崎座に出演し、また大和国十市郡の補巌寺で竹窓智厳に師事して学びました。観阿弥が京都・新熊野神社で催した猿楽能に出演し、室町幕府3代将軍・足利義満の目にとまり、足利義満から庇護されるようになりました。世阿弥は観阿弥とともに猿楽を幽玄な能(夢幻能)に大成させ、能楽論「風姿花伝」・「花鏡」などを記しました。
*参考・・・木賊山
【特徴・懸装品(変更の場合あり)】
●木賊山は総重量約0.67トンです。(2008年測定)
●御神体は等身大の翁人形で、腰に蓑(みの)を付け、右手に鎌(かま)、左手に木賊を持っています。御神体の足台には江戸時代中期の「元禄五年(1692年)六月吉日」の墨書銘があり、頭は仏師・春日(かすが)が造ったと言われています。
●水引は日輪鳳凰文様(にちりんほうおうもんよう)の綴錦(つづれにしき)及び道釈(どうしゃく)人物刺繍(ししゅう)、前懸は唐人交易図(とうじんこうえきず)刺繍、見送は中国明代の牡丹双鳳文様(ぼたんそうほうもんよう)綴錦です。左右の胴懸の中国故事人物図綴織は1999年(平成11年)~2001年(平成13年)にレプリカに代えられました。なお旧見送の仙人聞香図(せんにんもんこうず)の綴錦、旧水引の中東幾何文様(きかがくもんよう)イギリス織絨毯(じゅうたん)、後懸の緑地草花文様などが保管されています。
●欄縁(らんぶち)金具は雲龍文様(うんりゅうもんよう)、角金具は唐団扇(とううちわ)木賊と銀兎文様(ぎんともんよう)です。
【行事・イベント(要確認)】
●7月14日~7月16日の宵山では夕方から駒形提灯を灯し、祇園囃子を奏でます。
祇園祭宵山(前祭)
●7月17日の山鉾巡行では四条烏丸から四条通・河原町通・御池通の順に巡行します。
祇園祭山鉾巡行(前祭)
★祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【木賊山 備考(要確認)】
●ちまき販売などの日程時間は必ず確認して下さい。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)