祇園祭と粟田神社粟田祭の剣鉾(けんほこ)

祇園祭と粟田神社粟田祭の剣鉾(けんほこ)

祇園祭の山鉾は粟田神社粟田祭の剣鉾が原型とも言われています。剣鉾は長さ約7~8メートル・重さ約40~60キロです。剣鉾は長い棹の先に剣が取り付けられ、上部の剣と下部の棹の間に錺金物で装飾し、棹に鈴・吹散などが付けられています。

【祇園祭2025 日程】
祇園祭2025は2025年7月1日(火曜日)の吉符入(きっぷいり)から2025年7月31日(木曜日)の疫神社(えきじんじゃ)の夏越祭(なごしさい)までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【祇園祭と粟田神社粟田祭の剣鉾(けんほこ)】
祇園祭の山鉾は粟田神社(あわたじんじゃ)粟田祭の剣鉾(けんほこ)が原型とも言われています。剣鉾は長さ約7~8メートル・重さ約40~60キロです。剣鉾は長い棹(さお・長柄(ながえ))の先に薄くて撓る刃先が菱形をした真鍮(しんちゅう)の剣が取り付けられ、上部の剣と下部の棹の間に菊などの花・龍・麒麟(きりん)などを象った錺金物(かざりかなもの)で装飾し、棹に鈴(りん)・吹散(ふきちり(見送り・比礼(ひれ)・旗))などが付けられています。剣鉾は元々、祭礼行列の威厳を示す武器としての矛(ほこ)が次第に風流化したものとも言われています。風流は人々を驚かせるような華やかな趣向を凝らすことを指します。剣鉾は祭礼行列の先導を勤め、剣の振幅と鈴の響きにより、神様が渡る道筋を祓い清め、悪霊を鎮めます。
粟田神社には御神宝である阿古陀鉾(あこだほこ・瓜鉾(うりぼこ))や地蔵鉾(じぞうぼこ・錫杖鉾(しゃくじょうぼこ))・柏鉾(かしわぼこ)・三鈷鉾(さんこぼこ)・菊鉾(きくぼこ)・弓矢鉾(ゆみやぼこ)・鷹羽鉾(たかのはぼこ)・葵鉾(あおいぼこ)・橘鉾(たちばなぼこ)・松鉾(まつぼこ)・獅子牡丹鉾(ししぼたんぼこ)・瓜巴鉾(うりともえぼこ)・垣夕顔鉾(かきゆうがおぼこ)・葡萄栗鼠鉾(ぶどうりすぼこ)・竹虎鉾(たけとらぼこ)・琴高鉾(ことたかぼこ)・日月龍鉾(にちげつりゅうぼこ)・桐鉾(きりぼこ)の18基の剣鉾があります。また粟田神社剣鉾奉賛会が所有する鳳凰鉾(ほうおうぼこ)・鶴鉾(つるぼこ)もあります。ちなみに京都市内では剣鉾が50数か所の神社に300本ほどあり、粟田神社の18基が一番多いと言われています。ちなみに阿古陀鉾は製作年代は明確ではないが、社伝によると室町時代中期の1441年(嘉吉元年)に祇園祭を行っている八坂神社から粟田神社に納められたと言われています。また「粟田地志漫録」によると応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))で焼失し、大永年間(1521年~1582年)に土中から錺り(かざり)のみが出土し、天正年間(1573年~1592年)9月14日丑時に青蓮院領の瓜田から「感神院新宮」号の金札が発見されました。この金札を額中に納めて剣鉾を製作し、阿古陀鉾は瓜田の縁から瓜鉾と名付けられました。吹散は尊朝親王筆「南無天王八大王子」と尊純親王筆「感神院新宮」の二掛を有し、1794年(寛政6年)9月8日に仙洞御所から菊紋の吹散一掛が寄付されました。なお粟田神社では粟田祭の際に剣鉾を前後や上下に揺らせ、鈴を鳴らしながら巡行します。剣差しは腰に差し袋という棹受けを付け、独特の歩行法で剣先をしならせ、その揺れで鈴が棹に当たって音色をたてます。巡行では1基の剣鉾に交替要員も含め3~4名が帯同します。
阿古陀鉾(瓜鉾)は御神宝で、東分木町・東姉小路町・石泉院町が守護しています。地蔵鉾(錫杖鉾)は第1鉾で、中之町の西村家が守護しています。柏鉾は第2鉾で、粟田神社が守護しています。三鈷鉾は第3鉾で、東町が守護しています。菊鉾は第4鉾で、堀池町が守護しています。弓矢鉾は第5鉾で、五軒町が守護しています。鷹羽鉾は第6鉾で、東小物座町が守護しています。葵鉾は第7鉾で、今道町(粟田神社)が守護しています。・橘鉾は第8鉾で、分木町の守護が守護しています。松鉾は第9鉾で、南西海子町が守護しています。獅子牡丹鉾は第10鉾で、大井手町・今小路町(粟田神社)が守護しています。瓜巴鉾は第11鉾で、西町が守護しています。垣夕顔鉾は第12鉾で、夷町(粟田神社)が守護しています。葡萄栗鼠鉾は第13鉾で、古川町(粟田神社)が守護しています。竹虎鉾は第14鉾で、堤町が守護しています。琴高鉾は第15鉾で、西海子町が守護しています。日月龍鉾は第16鉾で、七軒町が守護しています。桐鉾は番外で、中之町が守護しています。

【粟田神社 祇園祭】
粟田神社は古代豪族・粟田氏が氏神として祀ったのが起源とも言われています。また粟田神社は平安時代前期の876年(貞観18年)に第56代・清和天皇が兵火や疫病に対する勅を発し、全国の諸神にお供えをして、国家と民の安全を祈願させた際、大己貴命からの神告により、八坂神社の祭神・素戔鳴尊にゆかりがある現在の場所に建立されたとも言われています。勅使・藤原興世が7日7晩八坂神社で祈願した際、満願の夜に老翁が枕物に立ち、「我を祀れば、必ず国家と民は安全なり」と告げられたことから朝廷に奏上し、勅命によって社殿を建立し、大己貴命・素戔鳴尊を祀ったとも言われています。粟田神社は以前感神院新宮・粟田天王宮と言われていたが、明治時代に粟田神社に社名を改めました。なお粟田神社は主座に素戔嗚尊・大己貴命、左座に八大王子命、右座に櫛稲田姫命・神大市比売命・佐須良比売命を祀っています。

【祇園祭と粟田神社粟田祭の剣鉾(けんほこ) 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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