大船鉾(ちまき販売日程・ご利益・・・)祇園祭後祭山鉾
大船鉾
大船鉾(ちまき販売日程・ご利益・マップ)を紹介しています。大船鉾(後祭)は船鉾(前祭)とともに船の形をした長さ約6.5メートルの大型の山鉾で、大船鉾は神功皇后の新羅遠征の際の凱旋に由来しています。大船鉾は凱旋の船、船鉾は出陣の船鉾と言われています。
★ちまき販売(後祭)は例年宵山の7月21日~23日で、一部の山鉾で7月20日から始まります。ネット販売を行う山鉾もあります。
祇園祭ちまき販売(後祭)
★祇園祭最新情報。
【大船鉾の場所位置 マップ・アクセス】
場所・・・京都府京都市下京区新町四条下る四条町
位置・・・新町通(南北)・四条通(東西)交差点の南約60メートルの新町通
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
●祇園祭山鉾マップ(後祭)by グーグルマップ
【ちまき(粽)などの授与品】
ちまき(粽)・腹帯・手拭・扇子・絵葉書など
【搭乗(要確認)】
搭乗するには拝観券を購入する必要があります。
【ご利益】
安産
【大船鉾 歴史・簡単概要】
大船鉾(読み方:おおふねほこ)は起源が明確ではありません。大船鉾は「祇園社記(ぎおんしゃき)」によると室町時代中期の1441年(嘉吉元年)に創建されたとも言われています。また「康富記(やすとみき)」によると1422年(応永29年)には既に創建されていたとも言われています。更に大船鉾は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記」第15(八坂神社記録)に「しんくくわうくう舟(新町通四条と綾小路間)」と記されているとも言われています。その後江戸時代後期の1788年(天明8年)に天明の大火で神功皇后(じんぐうこうごう)の神面を残して焼失し、1804年(文化元年)に以前よりも豪華な船鉾として再興されたが、幕末(江戸時代末期)の1864年(元治元年)の禁門の変で木部などの大部分を焼失し、その後休み山になって懸装品(けそうひん)を飾る居祭(いまつり)を行っていました。1995年(平成7年)に居祭を休止して神事のみを行っていたが、1997年(平成9年)に宵山の囃子が復活し、2006年(平成18年)に飾り席が復活しました。2012年(平成24年)に神功皇后の神面を唐櫃(からびつ)に納めた唐櫃巡行を行い、2014年(平成26年)に150年振りに山鉾巡行(後祭り)に復帰しました。なお大船鉾はかつて凱旋船鉾と称していたが、韓国・全斗煥(チョンドファン)大統領の来日の際に大船鉾に改めました。大船鉾は「祇園社記」に記されている「大船」に由来しています。
大船鉾は懐妊中の神功皇后による三韓征伐(さんかんせいばつ)の説話(日本最古の歴史書「古事記(こじき)」・日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)」)に由来しています。神功皇后は第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后とされています。仲哀天皇が熊襲(くまそ)を討つ為に九州に赴いて筑紫・香椎宮(かしいぐう)で急死すると同行していた神功皇后は妊娠中にも関わらずに新羅(しらぎ)に遠征し、新羅を戦わずして降服され、筑紫に帰って第15代・応神天皇(おうじんてんのう)を無事に産んだと言われています。三韓征伐では新羅以外の百済(くだら)・高句麗(こうくり)も新羅同様に日本に朝貢を約したと言われています。大船鉾は船鉾が「出陣の船鉾」と言われるのに対し、新羅遠征からの帰船が由来の為に「凱旋の船鉾」と言われています。
神功皇后は第9代・開化天皇の玄孫・息長宿禰王と新羅から但馬に来住した天日矛の玄孫・葛城高媛の間に生れたとされています。神功皇后は仲哀天皇の死後、201年(神功元年)から269年(神功69年)まで摂政として、三韓征伐などの政事を行いました。また神功皇后は応神天皇の出産後、仲哀天皇の長男・次男であるかご坂皇子・忍熊皇子が叛乱を起こしたが、鎮圧して排除しました。
大船鉾は交差点で辻回しを行う後祭の大型の山鉾で、くじ取らず(11番目の最後尾)です。祇園囃子を奏でる囃子方がいます。
*参考・・・大船鉾(ちまき販売・概要・・・)ホームページ
【特徴・懸装品(変更の場合あり)】
●大船鉾は高さ約6.35メートル・長さ約7.47メートル・幅約3.25メートル・最小回転半径約5.29メートルです。
●大船鉾の胴体の木部は京都青年会議所、船上の屋形は京都ライオンズクラブ、甲板と船首の欄縁(らんぶち)は黒主山保存会、音頭取りが握る力綱は公益財団法人祇神会(ぎしんかい)からの寄付によって作られました。また車輪・車軸などは菊水鉾保存会から譲り受けました。
●屋形中央に神功皇后、屋形前部に住吉明神(すみよしみょうじん)、艫部に鹿島明神(かしまみょうじん)、舳先に海神安曇磯良(あずみのいそら)を祀っています。なお神功皇后の姿は船鉾が神面を付けた緋縅(ひおどし)の軍装(鎧姿)だが、大船鉾の神功皇后の姿は狩衣(かりぎぬ)姿です。
●前懸・後懸は17世紀末~18世紀に作られた紅地雲龍青海文綴織です。天水引は江戸時代後期の文化文政年間(1804~1829年)に作られ、胴幕の羅紗は16世紀にポルトガルで作られたと言われています。
●祇園囃子には「渡り」・「渡り上げ」・「神楽」・「神楽上げ」・「唐子」・「凱船(唐子上げ)」・「戻り囃子」・「日和神楽」などの曲目があります。
【行事・イベント(要確認)】
●7月20日の曳き初めでは7月24日の山鉾巡行(後祭)に先立って、組み立てられたばかりの大船鉾を本番さながらに動かします。
●7月21日~7月23日の宵山では夕方から駒形提灯を灯し、祇園囃子を奏でます。
祇園祭宵山(後祭)
●7月23日の日和神楽では囃子方が祇園囃子を奏でながら山鉾町から八坂神社御旅所に向かい、祇園囃子を奉納して晴天を祈願します。
●7月24日の山鉾巡行では烏丸御池から御池通・河原町通・四条通の順に巡行します。
祇園祭山鉾巡行(後祭)
【大船鉾 備考(要確認)】
●ちまき販売などの日程時間は必ず確認して下さい。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)