恭仁宮跡木津川市かもまつり/10/(日程・時間・・・)

恭仁宮跡木津川市かもまつり

恭仁宮跡木津川市かもまつり(日程・時間・・・)を紹介しています。木津川市かもまつりは例年10月の土曜日・日曜日に行われています。木津川市かもまつりでは食料品・民工芸品・手作り品などを取り揃えた「いいもの市」が行われたり、青年部によるハロウィン仮装コンテストなどのイベントが行われたりします。(変更の場合あり)(詳細下記参照)

【恭仁宮跡木津川市かもまつり2018 日程時間(要確認)】
恭仁宮跡木津川市かもまつり2018は2018年10月27日(土曜日)・28日(日曜日)10:00~16:00まで行われます。

【恭仁宮跡木津川市かもまつり アクセス・マップ】
場所・・・京都府木津川市加茂町例幣
最寄り駅・バス停・・・恭仁宮跡(徒歩すぐ)
https://www.google.com/maps/d/embed?mid=1R3NynxMzkAC3tIdjRMi259hRtVs
アクセス路線は次の通りです。
*JR加茂駅からコミュニティバス(奥畑線・銭司線・西線)

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【恭仁宮跡木津川市かもまつり 歴史・簡単概要】
恭仁宮跡木津川市かもまつり(きづがわしかもまつり)は木津・加茂・山城地域の3か所で行う木津川市地域まつりのひとつです。木津では木の津まつり(木津川市中央体育館駐車場)、加茂ではかもまつり(恭仁宮跡広場)、山城ではやましろまつり(アスピアやましろ)が行われます。なお木津川市かもまつりは木津川市かもまつり実行委員会が主催、木津川市・木津川市教育委員会・京都新聞・KBS京都・KCN京都が後援して行われています。
木津川市かもまつりでは食料品・民工芸品・手作り品などを取り揃えた「いいもの市」が行われたり、青年部によるハロウィン仮装コンテスト・各種団体サークルによる舞踏やダンス・学生生徒による吹奏楽などのイベントが行われたりします。(変更の場合あり)なお木津川市かもまつりでは加茂駅から無料シャトルバスが運行予定です。(要確認)
ハロウィン(ハロウィーン)は古代ケルト民族の収穫祭が起源と言われています。ハロウィンは秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す祭りだったそうです。アメリカでは10月31日にカボチャに目・鼻・口などをカービングしたジャック・オ・ランタン(カボチャの提灯)に灯を灯し、仮装した子どもが「トリック・オア・トリート(お菓子をくれなきゃ いたずらするぞ)」と言いながら菓子を貰いに近所を歩き回ります。

【恭仁宮跡 歴史・簡単概要】
恭仁宮跡(くにきょうあと・くにのみやあと)・大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)は京都府木津川市加茂地区にあった恭仁宮の跡です。恭仁宮は740年(天平12年)12月15日に第45代・聖武天皇の勅命によって平城京(へいじょうきょう)から遷都して都になりました。恭仁宮は741年(天平13年)9月に左京・右京が定められ、11月に大養徳恭仁大宮という正式名称が決定され、平城京から大極殿が移築されて宮殿が造営されたが、743年(天平15年)末には造営が中止になりました。742年(天平14年)秋に離宮・近江紫香楽宮(しがらきのみや)の造営が始まり、聖武天皇は紫香楽宮に移り、744年(天平16年)2月に難波京(なにわきょう)に遷都、745年(天平17年)5月には平城京に更に遷都されました。ちなみに恭仁宮は南北約750メートル・東西約560メートルの南北に長い長方形だったと言われています。その後748年(天平18年)に恭仁宮・大極殿が山城国分寺に施入され、大極殿が金堂になり、七重塔や鎮守社・御霊神社(ごりょうじんじゃ)などの伽藍が整備されました。なお恭仁宮跡・山城国分寺跡は国の史跡に指定されています。ちなみに恭仁宮は3年余りで難波宮に遷都したことから「幻の都」とも言われています。
*参考・・・恭仁宮跡(アクセス・歴史・・・)

【恭仁宮跡木津川市かもまつり 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
恭仁宮跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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