祇園祭松取式2023/7/19(日程・・・)

松取式

祇園祭松取式

祇園祭松取式(日程・時間・・・)を紹介しています。祇園祭松取式は例年7月19日に行われています。松取式では祇園祭山鉾巡行(後祭)に先立って、北観音山・南観音山が2本の松の木から真松を選びます。ちなみに先に選んだ方は「良い松を選べた」、後に選んだ方は「良い松を残してもらった」と言うことが慣例になっているそうです。(詳細下記参照)

●祇園祭2023最新情報。

【祇園祭松取式2023 日程時間(要確認)】
祇園祭松取式2023(●コロナによる実施の有無・内容要確認)は2023年(令和5年)7月19日(水曜日)13:00頃から行われます。(現在確認中・要注意)
祇園祭2023日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭松取式 北観音山・南観音山 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市中京区新町通六角下る六角町
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約8分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
祇園祭山鉾マップ(後祭)by グーグルマップ

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【祇園祭松取式 歴史・簡単概要】
祇園祭松取式(まつとりしき)は600年以上前から行われているとも言われています。ただ北観音山・南観音山はかつて一年交代で巡行し、明治時代以降に北観音山(きたかんのんやま)と南観音山(みなみかんのんやま)が毎年一緒に巡行するようになりました。
松取式では7月24日の祇園祭山鉾巡行(後祭)に先立って、北観音山・南観音山が毎年京都市右京区の鳴滝(なるたき)から届けられる2本の松の木から真松を選びます。松取式では先ず北観音山と南観音山がジャンケンを行い、クジ引きの順番を決めます。ジャンケンで勝った方が先にクジを引き、負けた方が残ったクジになります。ちなみにクジは2本用意され、その内1本のクジには勝ちを示す結び目があります。勝った方が先に2本の松の木から真松を選びます。ちなみに先に真松を選んだ方は「良い松を選べた」、後に真松を選んだ方は「良い松を残してもらった」と言うことが慣例になっているとも言われています。
真松は長刀鉾(はびなたほこ)などの山の中心に聳え立つ真木に当たるものです。なお太子山(たいしやま)のみが松に代わりに杉の木が使われています。
祇園祭山鉾巡行(後祭)

【北観音山 歴史・簡単概要】
北観音山(読み方:きたかんのんやま)は町所有の古文書によると南北朝時代の1353年(正平8年・文和2年)に創建されたとも言われています。北観音山は山の上に楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞう)と韋駄天立像(いだてんりつぞう)を祀っていることに由来しています。楊柳観音は三十三観音(さんじゅうさんかんのん)の一観音で、病苦からの救済を使命(本誓(ほんぜい))としています。楊柳観音は右手に柳の枝を持っていることから楊柳観音と言われています。ただ柳の枝を水瓶に差している場合もあります。韋駄天は増長天(ぞうちょうてん)の八将の一神で、寺院の伽藍の守護神とされ、日本では禅宗寺院の僧坊などの守護神、または子どもの病魔を除く神として祀られています。室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))頃から隣町の南観音山(みなみかんのんやま)と一年交代で巡行するようになりました。江戸時代後期の1788年(天明8年)の天明の大火によって楊柳観音の顔を除いて焼失したが、橋定春作の手で修復されました。1833年(天保4年)に飾屋根を付け、舁山(かきやま)から曳山(ひきやま)に改められたと言われています。明治時代から南観音山とともに毎年巡行するようになりました。なお北観音山はかつては上り観音山とも言われていました。
*参考・・・北観音山(祇園祭山鉾後祭)

【南観音山 歴史・簡単概要】
南観音山(読み方:みなみかんのんやま)は起源が明確ではありません。南観音山は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記(ぎおんしゃき)」第15(八坂神社記録)には「普陀落山(錦小路町と四条坊門間)」と記され、応仁の乱前には既に創建されていたと言われています。南観音山は楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞう)と脇侍・善財童子像(ぜんざいどうし)を祀っていることに由来しています。楊柳観音像は恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)作と言われていたが、江戸時代後期の1788年(天明8年)の天明の大火によって頭部以外が焼失し、その後復元されました。楊柳観音は三十三観音(さんじゅうさんかんのん)の一観音で、病苦からの救済を使命(本誓(ほんぜい))としています。楊柳観音は右手に柳の枝を持っていることから楊柳観音と言われています。ただ柳の枝を水瓶に差している場合もあります。善財童子は華厳教(けごんきょう)の説話・入法界品(にゅうほっかいぼん)に記された童子の姿をした菩薩です。善財童子は法を求めて、南へ南へと53人の聖者(善知識・ぜんちしき)を訪ね、28番目の南海の辺に住む美しい観音にはあらゆる苦悩から人々を救うことを教えられ、最後の普賢菩薩(ふげんぼさつ)からは十大願を聞き、阿弥陀浄土(あみだじょうど)に往生することを願うようになりました。善財童子は仏法修業の段階を表し、また指南・東海道五十三次の語源にもなっているそうです。室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))頃から隣町の北観音山(きたかんのんやま)と一年交代で巡行していたが、明治時代から北観音山とともに毎年巡行するようになりました。ちなみに南観音山はかつて舁山(かきやま)だったが、曳山(ひきやま)に改められました。なお南観音山はかつては下り観音山とも言われていました。
*参考・・・南観音山(祇園祭山鉾後祭)

【祇園祭松取式 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2023日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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