二条城・相国寺散策コース(京都御所・梨木神社・廬山寺・・・)

二条城見どころ

二条城・相国寺散策コース

二条城・相国寺散策コースは世界遺産である二条城と金閣寺・銀閣寺を山外塔頭とする相国寺を結ぶ散策コースです。西側の二条城から東側の相国寺までは距離が約4.8キロあり、徒歩で約1時間掛かります。二条城から相国寺までは少し距離があるが、あまり起伏がなく、思っているよりは楽に散策することができます。二条城・相国寺散策コース周辺には祇園祭の起源と言われる御霊会が行われた神泉苑・京都市民の憩いの場である京都御苑・天皇が住した京都御所・仙洞御所・愛の木がある梨木神社・紫式部邸跡とも言われている廬山寺などがあります。梅・桜・紅葉シーズンは二条城・京都御苑でじっくり散策するのがおすすめです。京都御苑では無料で楽しめます。京都御苑・廬山寺は「源氏物語」の紫式部・藤原道長にゆかりがあり、歴史を感じながら散策するのもいいかもしれません。

【二条城・相国寺散策コース】

【二条城(にじょうじょう) 概要】

二条城は平安時代に禁苑だった神泉苑の一部でした。1601年(慶長6年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康が京都御所の守護・将軍の宿泊所として築城を開始し、1603年(慶長8年)に本丸御殿が完成しました。徳川家康は伏見城で将軍宣下を受け、その後二条城に入城し、重臣・公家衆を招いて将軍就任の祝賀の儀を行いました。1624年(寛永元年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光が後水尾天皇の行幸の際に大規模な改修・増築を行い、1626年(寛永3年)に後水尾天皇と中宮・東福門院が行幸しました。1750年(寛延3年)に雷火で五層の天守が焼失し、1788年(天明8年)に天明の大火で本丸などが焼失しました。1866年(慶応2年)に江戸幕府15代将軍・徳川慶喜が入城して将軍拝命の宣旨を受け、1867年(慶応3年)に慶喜が二の丸御殿・大広間に在京諸藩の重臣を集め、大政奉還の意思を発表しました。
二条城(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)二条城見どころ

【神泉苑(しんせんえん) 概要】

神泉苑は794年(延暦13年)の平安京遷都の際に造営された禁苑でした。禁苑は大池・泉・小川・小山・森林などを取り込み、乾臨閣・右閣・左閣・東西釣台・滝殿・後殿などが造営されました。800年(延暦19年)に桓武天皇が行幸し、802年(延暦21年)に雅宴が催されたとも言われています。その後824年(天長元年)に弘法大師・空海が淳和天皇の勅命により、北印度の無熱池の善女龍王を勧請して祈雨を行ったと言われています。863年(貞観5年)に疫病を鎮める御霊会が行われ、869年(貞観11年)の祇園御霊会が祇園祭の起源と言われています。その後荒廃し、1603年(慶長8年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康が二条城を築城した際、敷地が二条城に組み入れられて規模が減少しました。1788年(天明8年)に天明の大火で伽藍が焼失しました。
神泉苑(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

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【京都御苑(きょうとぎょえん) 概要】

京都御苑は上京区にある南北約1,300メートル・東西約700メートルの国民公園です。京都御苑には京都御所・仙洞御所・大宮御所・京都迎賓館や宗像神社・厳島神社・白雲神社などがあります。京都御苑は天正年間に関白・豊臣秀吉が公家を京都御所周辺に移住させたことから江戸時代に200もの宮家・公家の邸宅が立ち並んでいました。しかし明治後に首都が東京に移ると京都御所周辺は荒廃しました。1877年(明治10年)に岩倉具視が旧慣保存の為、京都御所の保存を建議しました。京都御苑は京都府が火災延焼を防ぐ為、京都御所周辺の空き家を撤去して整備したの起源です。
京都御苑(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【京都御所(きょうとごしょ) 概要】

京都御所は794年(延暦13年)の平安京遷都の際、内裏に代わる臨時の里内裏・土御門東洞院殿があった場所です。内裏は火災で度々焼失し、1227年(安貞元年)に火災でほぼ焼失しました。南北朝時代に後醍醐天皇が京都から吉野に逃れ、光厳天皇が北朝初代天皇に即位すると土御門東洞院殿が北朝の内裏になり、1392年(明徳3年)の南北朝の合一後に正式な御所になりました。その後室町幕府3代将軍・足利義満が敷地を拡大し、織田信長や関白・豊臣秀吉が整備しました。ただ度々焼失し、その後再建されたり、建て替えられたりし、1855年(安政2年)に現在の内裏が再建されました。
京都御所(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)京都御所見どころ

【仙洞御所(せんとうごしょ) 概要】

仙洞御所は桃山時代に関白・豊臣秀吉が子・秀頼の為、聚楽第の後身として造営した京都新城があった場所です。仙洞御所は1627年(寛永4年)に後水尾上皇の為、京都新城跡に造営されました。小堀遠州が庭園を作庭したが、後水尾上皇の意向によって大きく改修されました。御殿は1854年(安政元年)に火災で内裏とともに焼失し、その後再建されることなく、庭園・茶室などだけが残されました。
仙洞御所(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【梨木神社(なしのきじんじゃ) 概要】

梨木神社は1885年(明治18年)に伏見宮邦家親王の王子・久邇宮朝彦親王の令旨により、明治維新に貢献した三条実万を祀る為、三条家の邸宅跡に創建されました。その後1915年(大正4年)に大正天皇の即位を記念し、実万の子・三条実美が合祀されました。
梨木神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【廬山寺(ろざんじ) 概要】

廬山寺は天慶年間に延暦寺中興の祖である元三大師・良源が船岡山の南に創建したのが起源と言われています。1245年(寛元3年)に法然上人の弟子・覚瑜が船岡山の南麓に再興し、中国・廬山に因んで山号・山号・寺号を廬山天台講寺に改めました。応仁の乱で焼失しました。1571年(元亀2年)の織田信長による比叡山焼き討ちの際には正親町天皇の女房奉書によって免れましたが、天正年間に関白・豊臣秀吉の命によって現在の場所に移されました。その後度々焼失し、1794年(寛政6年)に光格天皇が仙洞御所の女院・閑院宮を移して仏殿などを再建しました。なお廬山寺がある場所は考古・歴史学者である角田文衞の調査により、紫式部邸跡とされました。
廬山寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【相国寺(しょうこくじ) 概要】

相国寺は1382年(永徳2年)に室町幕府3代将軍・足利義満が室町第・花の御所の東に夢窓疎石を開山に一大禅宗伽藍を建立することを発願したのが起源です。寺号は創建時に足利義満が左大臣(相国)であったことに由来しています。相国寺は1392年(元中9年)に伽藍が完成し、面積約144万坪の広大な山内に50余りの塔頭があったと言われています。その後度々焼失し、1403年(応永10年)に史上最も高かったとも言われている七重大塔も落雷で焼失しました。その後も応仁の乱などで度々焼失し、1584年(天正12年)に中興の祖・西笑承兌が再建しました。しかしその後も度々焼失し、1788年(天明8年)に天明の大火で日本最古の法堂(本堂)・浴室以外の伽藍は焼失しました。
相国寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)相国寺見どころ

【二条城・相国寺散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。

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